12月15日(金)

 

高砂生まれの宮本武蔵(その2)

 

講師は高砂市文化連盟会長・藤村 清春 氏

 

伝説の強さを誇り生涯特定の藩に属せず、全国を旅をしながら剣の道を究めた

宮本武蔵が高砂生まれと確信 したところで講演を集中して聴くことができました。

 

 

 

武蔵ゆかりの地には何度も訪れたところがあります。

その中の一つの泊神社がそうであり、懐かしい想いで拝聴。

 

 泊神社(加古川)

武蔵の養子・宮本伊織が再建しました。

 

以下、2017年2月に記事にした myblog から引用。

 

本殿の裏側には伊織が寄進した大きな石の灯籠があります。

 

 

 

 

神社には、昭和36年(1961)に神社の屋根裏から発見された

棟札があります。それは神社を再建した伊織が書いて奉納したものです。

 

これには、武蔵が生まれたのは 印南郡河南荘米田村 とハッキリ書いて

あります。それなのに最近まで武蔵生誕地があやふやだったのは何故?

 

 

また伊織は社殿再建時に、三十六歌仙図絵馬 を奉納しています。

残念なことに盗難にあって全部は揃っていないそうです。

 

三十六歌仙図絵馬は、室町時代末期から歌仙絵馬を奉納して歌道の上達を

祈願する風習があったそうで狩野探幽の門人・甲田重信によって描かれて

いて加古川市の指定文化財に指定されています。

 

今は、写真にして拝殿に飾ってあります。

幸いなことに実物を拝見させていただきました。クローバー感謝いたします。

 

 

 

 

※資料より

  

      (表)               (裏)

この2枚の大型の棟札(泊神社本社と舞堂)は承応2年(1653)に

豊前国(ぶぜんのくに)小倉(こくら)藩の筆頭家老を務めていた宮本伊織が

泊神社の頽廃(たいはい)していた建物を修築した時に納めた現在の本殿で

ある本社と神楽殿である舞堂(まいどう)のものです。

 

それぞれの表面には、上段に「火不能焼、水不能漂」の願文、中段に「本社」

あるいは「舞堂」の文字、修築前の建物のこと、修築時に奉納した三十六歌仙

扁額の事、願主として宮本伊織とその舎弟の小原玄昌の名、下段に匠師(大工)

らの名前が記されています。修築前の建物については本社が文禄3年(1594)

そして舞堂が姫路藩本多忠政の時(1617~1631)のものであったことが

分かります。

 

 

泊神社

加古川市加古川町木村658

電話:079-422-4813

 

 

 

最近の学びは

同じネタで投稿する

 

他の投稿ネタを確認する