今日は、黒田官兵衛の父職隆公御命日でした。

職隆公は、地元の人たちからは「筑前さん」と呼ばれて、

今も親しまれています。

 

10時からの墓前祭にお参りに行きました。車ダッシュ

 

 

筑前さん参道

 

 

 

午前10より黒田職隆公墓前祭が執り行われました。

 

 

 

心光寺のご住職の読経に始まり、

 

 

 

 

黒田武士顕彰会、妻鹿文化財顕彰保存会、一般の方々が順次お焼香しました。

 

 

 

職隆公の廟所は、天明3年(1783)に心光寺の住職が妻鹿村

(現姫路市飾磨区妻鹿)にて職隆公の墓所を発見し福岡藩に報告。

 

福岡藩役員が調査し、墓所の地中深くより5つの珪化木を掘り出しました。

翌年、福岡藩主であった黒田斉隆公の藩命により、墓所のあった場所に

福岡から海路運んだ石燈籠、石垣、玉垣などで3か月かけて立派な御廟所を

造営されたのです。

 

 

 

ここから北約800メートル進めば

黒田官兵衛が羽柴秀吉に自らの居城である姫路城を譲ったあとに

移り住んだ城として有名な国府山城(こうやまじょう)跡に行けます。

 

 

地元の人は国府山城を妻鹿城と呼んでいます。

戦国時代きっての名軍師・黒田官兵衛が一時居城として秀吉を天下人に

押し上げた言わば出発の城です。

 

 

 

 

  

 

黒田職隆公廟所

姫路市飾磨区妻鹿字元宮372番1