10月3日(日)
「三木の干殺し」として語り継がれている三木合戦。
秀吉の数多い合戦の中で22か月もかけて苦戦して
開城させた合戦は三木城だけといわれています。
城主の別所長治は、家臣や領民の助命を条件に城主一族の自害を
秀吉に書状を送り、自害して果てました。23歳、まだ若い城主だった。
三木城跡に建立された長治公の石像
ここに立つと、長治公は何を思い見ているのだろうと、いつも思う。。。
天守台跡には長治公の辞世の句碑があります。
「今はただうらみもあらじ 諸人のいのちにかはる わが身とおもへば」
辞世の句碑の向かいあわせに 別所家一族の辞世の句 もあります。
毎年5月に辞世の碑の前で「別所長治公春祭り」が開催されていますが、
今年もコロナで中止になりました。
今回は行きませんでしたが、雲龍寺境内に別名「首塚」と呼ばれている
別所長治公夫妻の墓があります。
三木城御城印をいただきました。