9月17日(火)
光明寺の次に向かった先は、黒田二十四騎の中でも黒田八虎の武将・
母里太兵衛の墓がある麟翁寺。
山門
益富城の搦手門を移築されたもの。
益富城といえば後藤又兵衛が城主だった城、又兵衛が出奔後は母里太兵衛が
城主に。益富城を築城したのは大内盛見氏、別名:大隅城 とも言われています。
歴代城主:大内盛見→杉忠重→秋月氏→早川長政→後藤又兵衛→母里太兵衛
山門の扁額
山門を入ると右手に
福島政則から名槍のレプリカが飾ってあります。
日本号の説明が詳しく記されていました。
鐘楼
除夜の鐘撞きのときは、本堂から直接行けるようになっています。
本堂
本堂を拝観させていただく前に、「日本号」 を呑み取った逸話を題材にした
「酒は呑め呑め・・・」で知られる民謡「黒田武士」の主人公・母里太兵衛友信公 の
墓碑にお参りしました。
向かって左から太兵衛公、友清公(孫)、友晴公(子供)の墓が3基
並んで建っています。
母里太兵衛友信公の墓
お酒の好きな太兵衛さまの墓前らしく、お酒が供えられていました。
友清公(孫)の墓
友晴公(子供)の墓
墓の脇には 縁起略記 が刻まれていました。
聞くところによると加古川から参られた人が寄贈されたものだとか。。。
太兵衛公は、弘治二年 播州加古川に生る と彫られている。
加古川生まれという説があるのだろうか。
私はこれまで播州妻鹿村生まれと信じていました。
(福岡市博物館は妻鹿生まれとなっています)
そして黒田二十四騎の中の加古川生まれは2人だと
思っています。野口佐助一成(野口町)と益田与助正親(東神吉町)です。
佐助の妻が太兵衛の妹で、野口佐助と母里太兵衛は義兄弟になるので太兵衛も加古川と
思われたのかなぁ?。
このあと、本堂にお参りさせていただきました。
聖壽山 麟翁寺
福岡県嘉麻市大隅町1023
電話 0948-57-0207