10月20日(土)
黒田武士ゼミ を 受講しました。
「播磨古事」と黒田家の御先祖さがし
ー「黒田家御霊木」の取り持つ縁」と題して
BSで大河ドラマ軍師官兵衛が再放送されているので、官兵衛神社建立、
御神木、いろんな意味で黒田家御先祖さまと今がどう繋がっているのか
再認識できた講演でした。
講師は藤原龍雄氏
1.播磨における 「黒田家」ゆかりの地めぐり
光姫さまの実家 志方城(観音寺城)
御着城跡(小寺政職の居城)
御着「黒田重隆公廟所」
妻鹿村「黒田職隆公廟所」
廣峯神社「黒田神社建立中」
2.黒田家の御先祖さがし・・・①定説黒田家発祥の地(「黒田家譜」)
定説(近江木之本出身地説)
【黒田家系図】
①宗清ー②高満ー③宗信ー④高政ー?⑤高宗ー⑥高政ー⑦重隆ー
⑧職隆ー⑨孝高ー⑩長政
黒田家に伝わる歴史書(黒田家譜)には、黒田家始まりは「源宗清」、
名字も館のある近江伊香郡黒田村から称したと記録されている。
しかし、その証拠となる物がなく、昔からの言い伝えで確証がないので
「旧縁地」と黒田家当主が書かれた石碑が昭和2年に建てられました。
ところが、昭和48年(1973)黒田集会所の改修工事時に敷地内より
「源宗清」と刻まれた石塔が見つかったことにより、黒田家の始まりは
この黒田村と確定し、碑文にも明記された。黒田家では、ここに覆屋を
作り出土した石塔を納めて祭り御廟所として翌年竣工した。
近江伊香郡黒田村 「黒田家旧縁之地」の石碑他
流転の地:備前福岡
備前福岡「妙興寺にある黒田高政の墓碑」
初代宗清より六代の高政まで約二百年間、黒田氏は、この地に在住して
いたが、永正8年(1511)山城国(現京都市)船岡山の戦いに参戦
した時の軍事違反で、厳しく咎められこの地を去った。
2本並んでいる墓碑、どちらが高政の墓碑なのでしょうか?
高政の墓碑は職隆の五輪塔と同じ石が使われているそうです。
実際、備前福岡に行ってみて、自分で出したポイント
筑前福岡藩主 黒田家発祥の地
軍師・黒田官兵衛孝高、その始祖が黒田宗清である
播磨姫路 姫路城
3.黒田家の御先祖さがし・・・②黒田家西脇出身説の伝承
西脇市黒田庄「荘厳寺」文書 黒田家略系図
この文書によると官兵衛は確かに西脇出身。。
どの地域も官兵衛を思い出すには最上の地でした。
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