1月22日(土)

 

案内社八幡宮の側に「鬼石」と呼ばれる自然石が置かれています。

節分も近いし、鬼に纏わる話に興味をそそられ総社を訪ねた機会に

チョット立ち寄ってみました。

 

総社御門は平成18年に神社建築の様式にて再建されました。

高さ16メートル、幅26メートルの国内最大級の楼門です。

 

 

 

「鬼石」と呼ばれる自然石

大江山の鬼の総大将、酒吞童子が石と化したものだという

総社では、厄落としの場となっており、厄除串で自分の体を撫で、鬼石に

厄除の串を投げることによって、厄を祓うことができるそうです。

 

 

 

説明板によると、この石は源頼光が大江山の鬼を討伐し、その首を持ち帰って

案内社八幡宮の傍に埋めたときに、目印に置いたものなんだとか。

 

はりま伝説によると、「播州名所巡覧図絵」には、案内社町の武家宅前に

鬼石が描かれており、「聖徳太子の腰掛石」と呼ばれていたとか。

 

鬼石も案内社八幡宮も明治になって総社境内に移転してきたそうです。

 

では・・鬼の首も一緒に移動? 今も埋まっているのだろうか??

 

 

私が興味を抱き鬼石を訪ねたのは、平安時代に実在した人物「平井保昌」が

頼光とともに朝廷から鬼退治を命じられたという伝説。

なのに総社の説明には保昌の名が記されてないのに不満を抱きました。

 

埴岡先生に確認したところ、昔の説明板には保昌の名も記されていたそうです。

新しくなってから保昌の名が記されてないのはどういうわけなのか?

神社側が省略したのだろうか・・・?

歴史は正しく伝えて欲しいものです。プンプン

 

 

平井保昌 といえば和泉式部の再婚相手

「播磨鏡」によると保昌は、鬼退治の成功を総社で祈願 したとか。

 

鬼石は「鬼やらいの時の修行の石座」だったと記されています。

 

                      ※はりま伝説夢物語(埴岡真弓著)他参照

 

 

「鬼やらい」は追儺(ついな)、追儺 とは、平安時代の宮中で大晦日の夜に

行われた行事だそうです。「方相氏」と呼ばれる人物が鬼を払う役目を負って

いたそうで後に、節分の際に豆撒きをする起源 となったと言われています。

 

2017年2月3日大塩天満宮節分祭 豆撒き 撮影

 

 

 

 

 

総社境内に移転してきた碑 がもひとつ。

***以下2018年6月13日に撮影したものです***

弁天池のそばに立つ「長生泉」の石碑は小野江の清水跡に

江戸時代建立されたもので移転してきたものだそうです。

 

 

弁天池

奥に龍が見えています。。。手水鉢でしょうかねぇ。

 

 

反対側に厳島社があります。

 

 

機会があれば、もっと境内の隅々まで探索したいと思いました。

 

 

 

 

 

 

播磨国総社 /射楯兵主神社

姫路市総社本町190

電話:079-224-1111