私は他の人のブログを読みに行くのも大好きです。
今、スピリチュアル系のブログでも「新型コロナウイルス」と、ワクチンについて書かれているものが多いです。
もはや台風や地震などの自然災害なみに、共通の関心事なんだと感じます。
そして、当然ながら、書き手によって言っていることはかなり違います。
それぞれに立場も、考え方も違うのですから、そうなりますよね。
そこで、私は「完璧に公平で、客観的な立場」から、昨今の新型コロナをめぐる世間について考えてみようと思いました。
そうしたら
みんな違って、みんないい。 (←金子みすゞ)
人間だもの。(←相田みつを)
ということになりました。
これって、意見と言えるのでしょうか?
つまり、完璧に公平で客観的な立場にいる人間は、いないのです。「神様」という存在がいたら、こういうのかもしれませんね。
絶対的に正しいというものもありません。
でも、私が自分と違う意見をすべて尊重し、おだやかな気持ちで受け入れられているかというと、残念ながらそうではありません。
特に身近な家族とは意見が対立して、大ゲンカです![]()
私個人としては「陰謀論」があるかないかとか、誰が仕掛けたとか、そういうのは結論も出ないし、それぞれの好きに考えればいいと思うのですが、ワクチンは物理的に存在するわけです。
そして、それは身体に重篤な害があるかもしれないのに、そんなリスクを取ってまで身体に異物を入れるなんて止めようよ!と、どうしても思ってしまうわけですよ。
国が勧めているから安心ですか?これまでに薬害事件なんていくつもあったし、今も解決していない進行中のものだってあります。
コロナのワクチンは「治験」すら終わっていないことを考えると、安心材料ではなく、不安の元にしか思えないのですが…。
でももちろん、何をどう考えるかは人それぞれです。
これまで生きてきたバックグラウンドも違うし、興味関心も違うし、今見ている情報も違う。
絶対的に「正しい」ものなんてないし、人生のほかの選択と一緒で、自分で選んでその結果を引き受けるだけなのです![]()
さて、心のことで、ひとつ確実にいえることは、ものすごく感情を刺激されるときは、外側ではなくて、自分の中に反応してしまう「何か」があるということです。
多数派と違う考えを持つことへの恐れ(仲間外れになるのが恐い)とか、政治は信用できない(だまされたことがある、または自分が隠していることがある)など。
自分の中にあるものを、外側に起きていることがスイッチとなって、刺激しているだけなのです。
そしてご想像のとおり、過剰に反応してしまうので、すごく無駄に疲れます。
みんな違って、みんないい。
とは思えなくても、まあ仕方ないよね、位に思えたならば、少なくとも楽にいられますよね。
私は家族を説得しようとして、まったく話を聞いてもらえませんでした。
そもそも「説得」ではだめで、相手の意志で「納得」してもらわないと、行動は変えられないんですよね。
数字やデータで理論武装しても、権威のある人の話を持ってきても、まず聞こうと思ってもらえないと始まらないのです。
私自身が感情的にキーッとならずに、終始穏やかな態度で接することができていたなら、少しは違っていたのかもしれません。
どうしたら相手に受け入れてもらいやすいのか、もっと周到に考えて、どういう風にもっていけば心に響くのか、作戦を練ればよかったと思います。
さりげなく、ソフトに、聞いてもらいやすい人から言ってもらうとか。自分が勧めたい情報を、それとなく流しておくとか。
今回の私のように正面からぶつかって、相手を変えようとするのは、一番まずいやり方です。
さて、相手を変えることはできませんが、自分のとらえ方を変えていくことはできます。
それは、こだわってしまう自分を許していくことです。
絶対私の方が正しいのに!!どうして聞いてくれないの!!と思って腹が立って、悲しくなり、相手を変えたくなる。
私ってその程度だよね。って受け入れることです。
あきらめるともいいます![]()
人間だもの。
自分について「その程度だよね。仕方ないよね」って思えないことは、相手にも許すことができません。
心を広く持とうと考えてもそうはならないので、「許すことができない私」を認めて受け入れる方が自分のストレスも減り、相手にも攻撃的にならないで済みます。
深呼吸したり、笑ってしまうような動画を見るなどして気持ちを切り替えて、あなた自身が楽しく過ごしてください。
人間だもの
(←そればっかり)
やりたい!やらなきゃ… でも、できない!を卒業させるセラピスト 泉谷紀子
