『どうしよう、どうしょう、』って恐怖や不安がなくなってきた、少しずつマイペースを見つめてきたからか、

 

頑張ってきた娘は不登校になり、親なので、初めのうち何かあったか、と、私も何かやってしまったかと、慌ててしまうが、

親なのでということも決めつけの言い方が嫌になり、

親をさせてもらってる、の一歩引いての考えになり、

 

学校には呼ばれるが、先生の態度も昔のようにエネルギーさえも感じないもっと本気出しては行動してくれりゃいいのに、

結局 親のせいにさせられる 『どうしてますか〜?』じゃない、

遠慮なく来ればいいじゃないかと思った、

担任含めの3対1の面談、

担任はおどおどしてあまりしゃべって来ない、

「先生も縦社会大変なんだなぁ~」と思った。

現在800人も不登校って、は~?!っ苦笑

 

その背景には今の世の騒ぎ報道から大袈裟にするさま、

暇なんか⁈ほんの小さな事で大きくなる体制さに苛立ちさえある。

そんな所に無理に行かせる事はできん。と、思ってしまった。

 

10月10日 お腹にいてお腹を痛めて産んだ子なのだ。

私の魂が望んだ子なのだ、ひとりの大切な魂なのだ。

 

本当は、学校って楽しいものではないのか?

なぜにつらい思いさせる、先生って先に生きてるだけやないか、

なぜ話し合いや応援も出来ない、なぜ足の引っ張り合い、なぜより良い方法にならず置いてけ堀にさせるんだと、こんな疑問がふつふつと湧いてきた。

どんなに勉強だけが優秀でも社会に対応できないからね、

 

ならば、

 

学校に行かない方が、自分軸が出来る。

やりたいことが見つかる。

 

人の軸にね、友達のいう事にね、

学校の先生に話を合させていくうちに、勘の良くて優しい子は、混乱してきて、わからなくなる、私もそうだった、『わかんない』の言ってんばり、

今の学校体制では、子どもが潰されてしまう。

勉強はどこでも、気が付いたとき、どうしても身につけたいときにすれば良いから。

その方がおもしろい人に出会えて、良いから、

 

 

 

と思ってたら、部活の先生に合うと言い出した。

 

 

よし、母ちゃんは、どう転んでもいい、娘を信じてる。

今、出来る母業、そして(ちょいと寂しいけど)境界線を引く、それも愛だ、

と思うようになってきた。

 

 

母ちゃん業も続く。