こちらの記事に出てくる、
強烈なインパクトをもっていずみの価値観をぶっ壊した小田桐あさぎさん。


この記事のお話を聞いたのが夏で

その時だったかどうか覚えがないのだけど、

他にも印象に残っている言葉があるの。 

それは


「ありがとうと言ってほしい事は自己犠牲」



実はいずみが子どもに

親に感謝なんてしなくていいと言っているのは

感謝されなきゃやってられないような事ならしない

と決めているから。


自分がそうしたいならやる。以上。


ね、感謝不要でしょ?






こんなにサッパリ心の底から思うようになったのは

せいぜいここ二年くらいの話だから、

息子が小さい時は

ありがとう言いなさいと言っていたし、

外で咄嗟に誰かに何かした時に

お礼を言われなくて?ってなることが、

習慣の名残りとしてはあるかもしれない。

でも、そうしたら今は、

あ、まだ私欲しがってるなって思うだけだ。



もちろん、

ありがとうを言ってはいけないという話じゃない!




だって嬉しかったらありがとうって言わずにいられないじゃない?

それはみんなが自分に言わせてあげるべきだし、

ありがとうのパワーってすごいかも

って経験もした。


ありがとうを受け取ったら

心の中に金塊が入ってきた日。





多分、こういう循環に意味があるのであって

感謝してもらうために行う行為って

自分が欲しがっているだけで

もはや相手に対する思いやりはどこにもない。

そう過去のいずみに忠告したい。




ただ、感謝が欲しい人も悪いわけじゃなくて

人からの感謝をもらわければやってられないほど

自分のことを見てあげられてないんだなって。

そういうことだと思う。

だから自分のこと見てあげればいいだけのこと。




もしくは、

「ありがとうって言ってくれたら

 これやっちゃう!」

って言って快くやるとかね。

そうなると物々交換と同じだからね。







あとこれ不思議なんだけど、

人からのありがとうが不要だと思えば思うほど、

感謝の気持ちが生まれるというか、

感謝する出来事が起こるというか、 

よく分からないけど

とにかく自分の中の感謝は増えるのよね。

だから人からもらおうとしなくても

ちゃんと手に入れられるんだよね。


















息子が大好きなトマトとデミグラスのシチュー。

好きすぎて写真を撮っていたみたいで

フォルダに入ってた!


昨年のクリスマスメニューの一つだった。

息子、今は幼児よりも食べられない。

インフルエンザ罹患後、未だに解熱しきっておらず

酷い倦怠感に襲われて

眠っても眠っても疲れている。


どこかお参りに行ったら、神様、

丈夫な体にしてくれるかな。