この記事の続きを書くね。
また読みに来てくれてありがとうございます。
 

 

 

 

そう、いずみ弟は、

頭がいいくせに何回怒られても同じ事をするという

バカウザ野郎だった。

 

大人の機嫌を取るために立ち回っているいずみの

努力を台無しにしてきた憎き存在。

 

何回言ってもやらない息子を見て、

こんな弟の事を思い出すようになったのだけれど。

 

 

 

 

そんな中、衝撃の発言を聞くことになったこの夏。

 

 

 

 

「それやったら怒られるけど、

 怒られるまでは出来るって事でしょう?

 だったら怒られるまではやればいい。

 怒られたら『ごめんなさーい!』

 って言えばいいんだから。

 『ごめんなさーい!』って言っただけで

 それまでの時間やりたい事出来る訳じゃん。」

 

 

 

テーブルをひっくり返させていただきます。

 

 

 

 

今度は秋になってから。

 

「うん、そこに車停めて荷物の積み下ろし

 しちゃいけないって言われてるけど、

 駐車場まで往復するなんて大変だから、

 そこに停めてやるって言ったんだよ。

 怒られたらやめればいいんだから。」

 

 

 

通報させていただきます。

 

 

 

 

 

 

一つ目の例は小田切あさぎさん。

二つ目の例は桜庭露樹さん。

自由な発想で人生を思い通りにしてきた方々。

 

 

「怒られるまではやる」

この考え、いずみの中には0%だった。

何ならそんな事社会悪だと思ってた。

 

けれどこんな風に日常的に

怒られる事も含めて自分の行動に責任を持つと

自分の欲しい現実が手に入るという事だ。

今やりたいそれが出来るって事だから。

欲しい現実が手に入っているから

満たされて穏やかだし、人の事を言わない。

お二人ともよくは存じ上げないが、

パンチの効いた発言と外見にそぐわず、

小田切あさぎさんは優しくて暖かい印象。

 

 

 

 

 

 

これだったの!?

 

お二人の話を聞いて、

怒られたそばから同じ事をしている弟の

思考が理解できたというわけなの。

怒られたっていいと思ってやってたんだ。

 

そりゃあ何十年経ってもいずみには

理解できなかったわけだ。

怒られないために必死に生きてきたからね。

 

 

 

 

 

そしてちょっと肌寒くなった今月。

学ランが大嫌いな息子は意地でも着ない。

半袖の制服の上に

ネイビーのパーカーを着ていこうとする。

いずみ:

「それ着てっちゃいけないんでしょ?」

息子:

「怒られるだけで学ラン着なくてすむなら、

 怒られるまでこれ着る。」

 

 

 

 

 

 

 

出たよ。

ここにもこの人種が。

だからいつまでも息子の事が

理解出来なかったんだ。

 


確かに社会の中では悪い事とされるかもしれない。

でも、それよりも自分にとって大切だったのは、

自分の思いにここまで正直に

応えてあげる事だったのかもしれない。

自分の中に完全に欠落していた要素。


自分が健全でいられたら、結果、

社会にとってもいいわけだから。

 

ご機嫌な人が増えたら、

絶対、世界が変わるもんね。



やられたよ。

 

 

 

 

 



どうやらこのじゃがいももご機嫌らしい。