この記事の続きを書くよ。
もはや父の日は全く関係ない。
 

 

 

ある方とのやり取りで、

18歳の時パニック症を発症した時の事を思い出す。

記憶から消えていた怖い体験だったので

まるで初めて経験したかのように

思い出した時に恐怖で具合が悪くなる。

同時に、当時採用していた

パニック発作の時の対処法も思い出す。

 

ざっとこんな流れを思い出し。

ブログを書かなかった時期と

その少し前の時期は

まだ頭が混乱してそれこそ

パニック状態だった。

パニック発作じゃなくて心がパニック状態。

ややこしいね。

 

この時息子の事でも悩んでいて

それに加えてのパニック症事件。

もうとっくに終わったと思っていた

自分のパニック症の過去が、

まさかのまさか、

母親問題に起因するなら捉え方間違ってるし、

まさかのやり直しじゃん!!

というショックは大きかった。

単純に、

思い出した過去の内容もショックだったしね。

 

 

 

いとこのKちゃんは

「思い出さなければ良かったのに。」

と言った。

 

思い出しさえしなければ

辛い気持ちにならなくて平和だった?

 

そうじゃないといずみは思う。

 

 

昨日の記事でも書いたように

死んでしまうかもしれないという恐怖

親きょうだいに見殺しにされるという恐怖

母親は自分を助けてはくれないという絶望

これらを持ったまま今まで生きてきた。

無意識でも。

 

忘れていただけ。

心の奥に何重にも蓋をしてしまってあっただけ。

そしてそれは、

自分にとってあまりにも辛い事だから

心を守るために 忘れるという

防衛策をとっていたのだと思う。

 

遅かれ早かれこの日は来ただろうし

また、いつかは

この蓋を開けてこれらの恐怖と絶望を

取り出さなければいけなかったと思う。

忘れているとはいえ

心が意識的に奥底に仕舞い、

何重にも蓋をして思い出さないようにしていた事。

それを保管し続けている事にも

ランニングコストがかかっているだろうから

今までずっと何かの形で

自分の足を引っ張っていたと思う。

 

 

独身の頃と違って子どもの課題や

もしかしたらこれからやって来る

自分の成長に伴う課題や労力に対して

こんな重いタスクを抱えたまま

動いていたのではパフォーマンスは上がらないだろう。

「絶望」というタスクって何?

 

 

 

そんな訳で心の中から

パニック症という課題を取り出しましたよ、

終わってませんでしたがどうしますか?

という状況だという事ね。

 

パニックになりながら

オロオロしながら

パニック症を発症する前の事から思い出し

かなり小さい子どもの頃の事から書き出し、

ひとまず、居住地域の精神科に行く事に。

 

あの過去の出来事を思い出した時の不調が

パニック症の再発なのか一時的なショックなのか。

PTSDなのかそうでないのか。

(PTSDは取り扱ってないけどね)

夫の事でのフラッシュバックがあるから

ついでにそれも聞く。

考えてみればこれだけでも異常なこと。

 

という事でこのパニック症事件の対処は

この段階で落ち着いた。

ほんと落ち着いたよ。

思い出した直後は

どうしようどうしようってなってたからね。

 

それより病院行って

全然違う事言われたらどうしよう

って思うように。

すごく頭が悪いですとか

頭がおかしいですとか。


「ええそうですともそれが何か?」

 

 



 

 

二週間ほど前、山椒の実を発見!買うですよ。

そして、人生初、ちりめん山椒を作ったよ。

いずみの大好物なんだけど、息子も大好物。

いいんだけど、うちは手に入りにくい。

その上息子にかかったら

一食で一袋食べてしまう勢いなのが悩み。

だってお高いじゃない?

その事を思ったら手間もなんのその。

たっぷり作って毎日食べて大満足。


参考にしたのはこちらのお品。

ちりめん山椒ならどれでもいいって訳でもなくて

甘すぎないもの浅めに調理してある物が好み。

こちらのはとても上品で絶品。

昨年京都旅行の際に買って袋を保管してあった。

ここのとまではいかないけれど

京都のに引けを取らないくらい美味しく出来た!


京都駅の、確かキオスクで買ったと思うの。

お高級な店舗じゃなくても充分だなって思ったよ。

京都行かれる方、もし見かけたら

ぜひこちらのちりめん山椒を購入してみてね。