先日、2度目でした。
元夫が、
「この残った冷やご飯、明日、俺が食べるから」と。
えぇ、とてもしょーもない話から始まります。。
元夫は、冷やご飯、残って冷凍したご飯を食べない人でした。
多分、そうしたい気持ちは今も変わってないと思うのですが。
先日、2度目の冷やご飯を食べたのです。
で、
私、その時思ったんです。
“犠牲的だな”って。
うん、可愛げがないですよね。
感謝の気持ちも持ててない。
けど、でも。そう思ったんですよね。
で、ここからなんです。
そう思ったと同時に、私は、
『私の中にも、同じものがあったのかもしれない』
『私がしてたことも、これと同じようなものだったのかもしれない』
って、
そう思ったんです。
炊き立てでも、冷やご飯でも、どちらでも選べる状況の中、
元夫が“冷やご飯は俺が食べるわ”と言ったのは、
元夫の優しさだったり、気遣いだったり、愛情表現の仕方だったり、いろいろ考えられると思います。
でも、「炊き立ての方を食べたい」という話を全くせずに、
(そして普段から、私はお米をそんなに食べないし、冷やご飯でも炊き立ても、こだわりがないことは、
何度も元夫に言ってるし、知ってるはずなのが前提だけど)
元夫は、
勝手に我慢して、
言いたいことも言わず、
食べたくない(だろう)方を食べた。
と、いうシチュエーションが思い浮かんだ時に、
元夫がどうかはおいておいて、
私自身が、
『勝手に我慢して、
言いたいことも言わず、
したくないことをしてきた。』
そういうことかな、と。
ま、あるんですけどね!
我慢は“勝手に”したくてしたわけじゃないし、
言いたいことを言わなくなったのも、
私なりの試行錯誤の上だわ!って言いたい気持ちはあるし、、。
でも、ここまで書くだけでも、
私は自分が『他人軸』、つまり『元夫軸』で文章を書こうとしていることに、何度も気付いて書き直しました。
まだまだまだまだ、修行が足りません。
読んでいただき、有難うございますm(_ _)m
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