こんばんは、心理カウンセラーの朝海です😊



3ヶ月先まで予約の取れない心理カウンセラー根本裕幸さんの弟子(第二期)です☺️







先日、2度目でした。



元夫が、

「この残った冷やご飯、明日、俺が食べるから」と。





えぇ、とてもしょーもない話から始まります。。





元夫は、冷やご飯、残って冷凍したご飯を食べない人でした。

多分、そうしたい気持ちは今も変わってないと思うのですが。



先日、2度目の冷やご飯を食べたのです。





で、



私、その時思ったんです。



“犠牲的だな”って。





うん、可愛げがないですよね。



感謝の気持ちも持ててない。





けど、でも。そう思ったんですよね。





で、ここからなんです。



そう思ったと同時に、私は、


『私の中にも、同じものがあったのかもしれない』


『私がしてたことも、これと同じようなものだったのかもしれない』



って、



そう思ったんです。





炊き立てでも、冷やご飯でも、どちらでも選べる状況の中、

元夫が“冷やご飯は俺が食べるわ”と言ったのは、



元夫の優しさだったり、気遣いだったり、愛情表現の仕方だったり、いろいろ考えられると思います。



でも、「炊き立ての方を食べたい」という話を全くせずに、

(そして普段から、私はお米をそんなに食べないし、冷やご飯でも炊き立ても、こだわりがないことは、

何度も元夫に言ってるし、知ってるはずなのが前提だけど)



元夫は、



勝手に我慢して、

言いたいことも言わず、

食べたくない(だろう)方を食べた。



と、いうシチュエーションが思い浮かんだ時に、



元夫がどうかはおいておいて、



私自身が、



『勝手に我慢して、

言いたいことも言わず、

したくないことをしてきた。』



そういうことかな、と。





ま、あるんですけどね!



我慢は“勝手に”したくてしたわけじゃないし、



言いたいことを言わなくなったのも、

私なりの試行錯誤の上だわ!って言いたい気持ちはあるし、、。





でも、ここまで書くだけでも、

私は自分が『他人軸』、つまり『元夫軸』で文章を書こうとしていることに、何度も気付いて書き直しました。



まだまだまだまだ、修行が足りません。







読んでいただき、有難うございますm(_ _)m





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よろしくお願いしますm(_ _)m