〜抜粋〜
《こうやって、書いて、話すことは、放すことへ繋がるんだろうか?
この景色の中の何を放すんだろう。私は。
もし何かを放せたのだとしたら、放せたときのために、今、私が私を理解しようとしている記録として。》
ブログ、思うままに、書こうとする。
今日、今、私は何を思ってる?
何を書こう?
そうして溜まっていく言葉や文は40あまり。
それらを見ていて、私の中から出てくる言葉は、“まるで反省文のようだな”と思った。
ふと、師匠からのいただく、宿題のチェックを思い出す。
師匠のチェックの、ある所。ない所。
◎の、ある所。ない所。
チェックがある所は、私が『良かった』とか、『気付き』として見れている所。
そう言えば(今更ながら)、
宿題の条件(?)として、自分の成長や良いところ、それを見てどうなれるか?みたいな見方をすること、ってあった。
師匠が、私達弟子に宿題を返して下さる時には、「反省文の様な人も‥」と仰ってたな。
うむ‥私だ‥(・・;)
私が自然に書くと、どうしてもそうなる。
なぜか??
『自分のダメなところをしっかりわかって、それを直していかないといけない!』って思ってる‥んだな。
どうしても、『なぜ?』『なんで??』『どうして?』って思っちゃうんだけど、
それとダメなところ探しは、きっと違うはず。
今日は頭が回らないけど、またそれも考えたい。
そして、私も、
《私が私を理解しようとしている記録》、これからも書いていきたいなと思う。