その年の3月、京都の北部から市内へ、夫の転勤が決まったが、辞令の数日後に東北の震災が起こった。

息子は、生後間もなくから幼稚園まで6年間過ごしたその地や、お友達と別れて、新たな場所で小学生になることに。


息子は、不安そうな様子も見せず、元気に登校し、心配性で過干渉な私の言うことをよく聞き、宿題も勉強もよくしていた。


ーーーこの転勤のタイミングで、東北の震災が起こり、急遽、夫は半年程の間、単身赴任で福島へ行くことに。夫も大変であったと思うが、私も引っ越しの諸々をほぼ一人でこなして、結構ヘロヘロだった。
引っ越して、父親がいない(単身赴任)、誰も知ってる人がいない中での小学校の入学で、息子は大丈夫なのかとても気になっていた私だったが、体調も精神的にも、調子を崩したのは私だった。

この辺りから、私は夫との関係について少しずつ悩み出したのだった。ーーーーー




その2年後、また夫の転勤があり、今の静岡へ。
息子はこの時も、不安な様子も見せずに、楽しそうに新しい学校へ通い出してくれた。

学校では明るく楽しそうに過ごしていて、また先生の言うことをよく聞き、気の利く子だったようだ。
小学一年生から、学校から帰ると宿題をし、自主勉強もしたりしていた。(正しくは、口うるさく声を掛けて、私がさせていたのだ)

勉強が終わって遊ぶ時も、同じマンションの子と遊ぶくらいで、遠くに遊びに行くことは、ほぼなかった。

思えば、この頃まで、私は息子のことを何でも知っていたかったし、知っていないと不安で、(カバンの中、引き出しの中まで勝手に開けて見ることは、私のポリシーに反するのでしなかったが)、気になって聞いたことに息子が答えてくれないと、腹が立って怒ってすらいたような気がする。(怖いな私‥)

ある日、小学校高学年になった息子が、いつもより遠いお友達のところに遊びに行くと言って、パニックになった私。

「何でそんな遠いところに行くの?」
「誰と遊ぶの?」
「どこで?」
「そんなところまで行って何して遊ぶの?」
「どうやって行くの?」
「何時に帰るの?」


(・_・;

怖い、怖い

私、怖すぎるな、、(ー ー;)



息子が遊びに行くと言ったところは、いつも通っている学校の近く(歩いて20分ほどのところ)。
今思えば、どんだけ取り乱して、どんだけ過保護なんだ(・_・;と思うけど、

私自身、学校から帰って、お友達の家に遊びに行った記憶がほぼなくて。
まだ小さいのに!まだ早いんじゃないの?!
(しつこいようですが、この時息子、小学校高学年)と、自分の想像内から出てしまう、目の届かない、手の届かないところに行く息子の行動が、怖くて不安で仕方なかった。


ーーーーこの頃すでに、夫婦の会話はほぼなく、
続く転勤に息子の成長、私は将来的な話をしたかったが、だんまりを決め込む夫に、話をする気もなくなってきていた。

思えば、私から夫に向かうはずのエネルギーを、息子に向けてしまっていたのだなと、痛感する。ーーーーーーー


そんなだんだんウザさが増す母の横で、息子はその後もスクスク育ち、気付くと身長も私を追い越し、160㎝を越えていた。

それでもまだ、反抗期らしい態度はないまま、息子も中学生になった。



ーーーーーそして、私は息子が中学生になる半年程前に、夫と離婚をした。ーーーーーーー