お久しぶりですおねがい


2月10日父が亡くなりました。全国的に雪が降った日でした。

 


父の希望もあり家族葬、少人数で見送ることにしました。

 

写真は、父と私

 

 

退院して実家での在宅ケアが始まったのが1月26日から。



食道がんのような悪性腫瘍が食道の筋肉にできていて、食べ物は食べれず、

とろみのある栄養剤を飲む状態でしたが、もしかしたら、腫瘍が小さくなって、また食べれるようになるかも・・



とかすかな望みも持っていたのですが・・・


退院してから、大好きなそうめんをすすって食べられないことを知り、父は大きく落胆したようでした。


そうめんは、食道で引っ掛からないように細かくカットしないとあげてはいけないとのことでした。

 

 

腫瘍が小さくなるイメージをすることで、腫瘍が小さくなってまた食べられるかもしれないよ。と伝えたものの・・

 

100%そうなる。とまでは言えず。。

疼痛(内科的に悪いところがないのに脳が痛みを作り出す)と長年付き合ってきた86歳の父には、もう長く生きたい。という望みがないことも感じ取っていました。

 

父が旅立つ1週間前、実家に泊まり込み、死期が近くなると、急にガクんと調子が悪くなることが多いということも実感することになりました。

 

父のベッドの隣で連日一緒に寝ることで、「もっと長生きして欲しい」というより、苦しまないで安らかに旅立って欲しい。そう思うようになりました。

 

 

苦しんでいるとき、父が好きだった曲をピックアップしてかけると、少し楽になるようで、エルビス プレスリーや石原裕次郎、「上を向いて歩こう」の坂本九さんには、大感謝です。音楽の力は偉大ですね。

 

 

訪問看護師さんに教えていただいた「ホットタオル(ビニール袋に入れたレンジで温めたタオル)」も有効でした。

 

痛いと感じる胸とお腹にあてて、音楽を聴くことは、五感を刺激することになり、脳が痛みではない方に集中しやすいのだと思いました。

 

 

そして、父の希望もあり、2月10日、ホスピス(ガン患者の緩和ケア病棟)を予約して朝10時に入所する予定だったのですが、その1時間半前に、眠るように安らかに息を引き取りました。

 

家で最期を迎えたかったのだと思います。

 

 身内の近しい人の死は、はじめてのことで、いつかは皆経験することですが、切ないですね。笑い泣き

 

今回、勉強になったこと。

痛みをとりながら穏やかに最期を迎える場所、ホスピスは、すぐに入所できるところではない所でした。


まさか、父がこんなに早く病状悪化すると思わなかったので、ホスピスは、まだ必要ない。

と思っていたのですが、予約をとり、話を聞いていざというときのために登録は、早めにした方がいいです。

 

でも、よかったなと思うことは、在宅ケアを2週間近くできたことで、家族でたくさん

「ありがとう」と「大好きだよ」を何度も伝えて、チュウもしまくりチュー

父の笑顔をみることができたこと。

 

不思議なことに、1月21日の発達障害イベントは、父の誕生日でした。

 

その日しか、会場が空いていなかったのです。


母と長男とソーラン節も踊って、イベント参加者の方に元気パワーをお持ち帰りしていただけたらと思って実行したのですが、


ソーラン節を踊ることは、父を見送ることになる前後でも、落ち込みがちな母にエネルギーチャージするものとなりました。



最期の火葬の前のお見送りでは、個室空間で、母と妹と長男、私だけでしたので、喪服で3人でソーラン節、妹はフラダンスを踊ってお見送りしました。

 

うちの家族は、笑いがある家族でしたので、一般的な常識からは外れたものではあったと思いますが、

我が家らしい送り方だったと思います。父も喜んでいたはず!爆  笑

 

 

今は、妹と母のサポートをして交代で泊まり込みをしています。

 

母と長く一緒にいることで、あれ?認知やばくない?と思うことも多々あり、

母「朝ごはん食べたっけ?」や、5分前に食べたものが何なのか忘れるなど、認知症の初期症状にあてはまる行動が色々あるので、今度は、母の生活習慣を整え、認知力、体力をつけるサポートをしていく必要があります。

 

 

 母は、大好きなワンちゃんがいるので、まだ死ねないと思っていて、生きたいという気持ちがあるので、これからも、大好きな亡き父と母とたくさん笑ったり、美味しいものを食べたり、生活を楽しんでいきたいと思います。


父がなくなる前、母が父にチュウしながら、「愛してるよ。ルドちゃ、、あ、待ち構えた😆としちゃん」と、ワンちゃんの名前を言い直し、父も笑っていた面白エピソードも我が家らしい。

 


 父は小さいながらも、会社を経営し、日本全国でアーケードの設計施工をしていました。

本当によく頑張ってくれました。

 

マイペースな人で、普段はしゃべらない人でしたが、ユーモアのセンスがあり、亡くなる1週間前も、「この人誰?」と母のことを指さすと、私の名前を冗談で言って、クスっと笑ったり、

 

亡くなる1日前、体力ほぼ限界状態でしたが、おむつ替えのとき、足を踏ん張っておしりを持ち上げるなど、最期まで頑張り屋さんでした。

 

また生まれ変わっても、父の娘になりたいですおねがい

 

本当に、としちゃんパパ、ありがとう!!大好きだよ~

ドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブ