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Going my way~わたしはわたしの道を行く~

自分に素直に、性別問わず好きな人とたくさん会い、自分のしたいことを学んで女性としてときめく日々を過ごすためのブログ

9月に入り、すっかり秋ですね。




秋晴れが恋しい今日この頃です。




ここ2ヶ月程、なかなか面白い心の変化があったので、ブログに残しておこうと思いますニコニコ




長いので、お時間がある方はどうぞルンルン

所々、時系列がバラバラで読みにくいかもしれないです。





「なんとか言ったらどうなのムキー

ドンっ‼️

母がテーブルを拳で叩く。




音にビックリするも、しっかりと口をつぐんで下を向く。





記憶を辿ると、小学生の頃から怒られる時のパターンは決まっていた。




「何でやったのか聞いてるのよ⁉️」と、一見、質問しているようで、実際に答えても納得しない。

なので、もう最初からダンマリを決め込む。





いつか母親が諦めて、解放するのをひたすら待つのである。

この繰り返し。




いつの頃からか、親はわたしの話を聞いてくれないと思うようになっていた。




その思い込みは最近まで続いていたと思う。






突然だがわたしは、自分の向き合う課題(わたし)があると普段からチラチラ脳裏に見え隠れしている。





少し前から、柱の陰から半分顔を出し、じっと

わたしを見つめるわたしがいることに気づいていた。



何か言いたげで、気づいて欲しそうなわたし。

そろそろ向き合う時が来たようだ。




そして、同じ頃から母親に対して毎日のように怒りが湧き、心の中で文句を言いまくっていた。







トランプクローバー

数年前に、ビジョン心理学のパートナーシップの講座で学んだことがある。




その時に得た気づきは、「実はわたしは、本当に思っていることを言わないで親を見下していた」ことであった。




この気づきを突然思い出す。




ノートに、母親への怒りを思いっきり書きなぐる。




ふと、幼少期のダンマリに繋がっていく。




母が質問してきて、何を答えても怒られるのであれば、答えるだけムダだ。

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だから答えない

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答えないのでまた聞くが、さらに答えないから母が怒る

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相手が求めるものをワザと与えない

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母が諦める

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ねばり勝ちゲラゲラ




書き起こすとヒジョーに下らないのだが(笑)、小さい頃のわたしは必死だった。




唯一、親に勝つために編み出した必勝法なのだ。





そして、何も答えていないので、何も責任も取らなくていいというオマケもついていた。






必死で身につけた必勝法は、大人になってからも自分自身を守る方法だった。

しかも、何年も練習してきているので下積みもバッチリだ(笑)。



成人した後も、パートナーシップや友人関係にも気づかずに適用していた。




トランプダイヤ

わたしは、自分でも気づいていたのだが、変えたくても変えられないことがあった。




それは、相手にマウントを取ってしまうこと。




例えば、わたしは、情報を得たり調べたり学ぶのが好きなのだが、時には「限られた人だけが知っている」「みんなより早い」などの特別感を煽られ、自分は優れていると思い込み、優越感に浸ることがあった。




調べたり学んだりしていないように見える人に対して、内心、バカにしたり蔑んでいた。




白黒はっきりつけられる事などほぼなく中庸がいいと日本語で分かっていても、どうしても厳しくジャッジする自分を止められなかった。

気づくと自然と批判していたのだから。







トランプスペード

毎月1回、セラピストの講座があるのだが、ここ数回はビジョン心理学のまとめを勉強している。




ここで、わたしのパートナーがかなり人目を気にしていて、常に戦闘モードであり、自分からイチャモンをつけることがあるのが嫌なんです、と講師に相談した。




すると、パートナーのことを話しているのだが、まるで自分の事を話しているように感じたのだ。

とても恥ずかしくなった。




そうだ。

常に人目を気にしているのはわたし。

戦闘モードなのはわたしじゃないか。




走馬灯のように思い出す。




元彼から、「あんまり自分の事を話さないよね」

と言われたこと。

友達にも、打ち解けているようで、実は思っていることを言わないこと。

憧れるような人にも、なぜかあら探しをしてしまう。




表面では、仲良くしているようで、本音を言わない。




特に取り繕わなければいけない相手ほど、その人がいない時にめちゃくちゃディスり、愚痴ばかりであった。




わたしは、また必勝法を使っていたのだ。




思っていることを言うと(良くない)反応が帰ってくるだろうと怖がり、主張が出来なかった。




相手と違う意見を主張することが怖かったのである。



なぜなら、意見が違うと受け入れられずに、1人ぼっちで居場所がなくなると思い込んでいたからである。




だから、相手に良いことだけ言うが、他は黙って陰で愚痴っていたのである。





幼いわたしにとって、この世界は安全ではないと感じていた。

子供は、親がいなければ住まいも食事も与えられずに生きていけない。

親から見離されることは死を意味する。

必勝法は、自分自身を守るために幼いわたしが編み出した生きる術だったのである。





あぁわたし、生きることに必死だったんだな。

頑張ってきたんだねえーん







思い切り腑に落ちたのだろう。




次の日から、不思議と心が穏やかになったのである。





状況は変わらないのだが、相手に対する見方が変わったのだ。




以前なら、「わたしが正しいことを教えなきゃ」などと謎の正義感がと怒りが出ていたのだが、それが起こらない。




落ち着いて相手の話しも聞けるようになった。

しかも、自分の思いをスムーズに伝えられるようになったのだ。




これはわたしにとって、とても喜ばしい変化である。




長くなったので続きますおねがい