物理的に言えば血の繋がった親子である事には変わりないのだけどね。
高校の時に私は父のことを親と言う目で見ることをやめた。
1人の大人として、1人の男性として見ていく事に決めた。
そして何より身近な反面教師として見ていく事に決めた。
理由はこちら。
正直、未成年であることを考えれば「お前は自立も独立もせずに学生やってるくせに何様なんだ?」と思う方もいるかも知れない。
はたまた、若造の反抗期が炸裂してると思う方も居るかもしれない。
(自分の中ではこの時期には既に反抗期は終わっていたつもりなのだけど…)
それ以来、父に対してはあまり好意的な接し方はして来なかったと思うし、口を聞くことも減っていった。
すると父も次第に不信感を募らせていった。
あんな事〜(記事)
こんな事〜(記事)
あったでしょう〜
その結果、実家を出て半年後に父から勘当宣告を受ける事になり、「あぁ望むところだ💢」と言わんばかりに実家の鍵を家のポストに投げ入れに行きました(記事)。
もともと、人からは大人しそうとか言われつつも、実は直情型で猪突猛進なので、スイッチが入るとロクに考えもせずに行動してしまう点は自覚してたけど、この行為に関しては今となっては自分でも恥ずかしくなるお話。
本当なら実家に帰る資格もなければ敷居跨ぐ資格もないのかもしれないけど、再び受け入れてもらえた事には本当に感謝しないといけないんですよね。
話が逸れたので戻して…
父からの勘当宣告を受けた時、怒りのあまりに心に決めた事がありました。
それは…
仮にも父が死んだ時は絶対に泣かない!!
(当時の心境で書いてるのでごめんなさい🙏)
あんなヤツのために涙なんか流してやるもんか💢💢
本気でそう思ってました…
でも…
蓋を開けてみたら、守れませんでした…
それどころか…
告別式では一家の長男にも関わらずに情けなくなるくらいに号泣してしまったんです。
特にお経を終えた後の出棺の時…
本当ならば伯父と葬儀屋さんとお棺を霊柩車に入れるハズだったのだけど、ハンカチも離せないわ肩も震えて嗚咽も止まらないわな状況になってしまい、お棺を持つ役から遺影を持つ役割に変えていただくほどでした。
(今となってはめちゃめちゃ恥ずかしいし、母と弟からはあとで呆れられましたね)
ではなんでそこまで狂い泣きの如くに号泣してしまったのだろうと思うと、恐らく親子に戻っていたのだと思います。
(「お前がただの泣き虫だからだ」と言う心をえぐるような発言はお控えいただきたく存じますw)
父が亡くなってから告別式までの数日で伯父さんや伯母さんからもいろいろな話を聞いていました。
私の知らなかった事や、私が産まれた時の事だったり…
そうしていくうちに自分の中で固まってこびり付いていた何かが剥がれるかのような呪縛から解かれるかのように、父と子の関係に戻ったような気がしたんです。
どこかで自らが作っていた壁を自分が壊した訳でもなく伯父さんや伯母さんが壊していった訳でもなく、何気ない話を重ねていくうちにするすると溶けていくような感じで壁が無くなっていたのだと思います。
だけど、いざ親子に戻ってみたら腹の立つことも出てきました。
それは…この記事にあったこの部分について。
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でも、本当は父にも自分の間違いは認めてちゃんと謝って欲しかった。
そして自分も確認不足だった点をきちんと謝りたかった。
(↑2つがセットであって欲しかった)
そうしてお互いに和解できれば1番いいなと思ってたし、後々思い出話で出てきても笑って話せると思えてたから…
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どうして父は自分の間違いは認めてちゃんと謝罪せずに旅立ってしまったのか?
そしてどうして確認不足だった点を自分もきちんと謝りたかったのにそれすらさせずに旅立ってしまったのか?
自分だけが謝れば良いわけではありません。
父にも謝ってもらって自分も謝って初めて1セットになる出来事だと思ってたから。
そこがモヤモヤしている状態で逝ってしまったんだから本当にヒドい父親です😤笑
でも、、、中学の時に2回落ちて3回目で受かった初段の昇段審査をスゴく喜んでくれた良い父親なのも知ってるから、許せないけど心にしまっておこうと思います。