バスを釣ろうとする人 | おっさんアングラー哲の釣行記

おっさんアングラー哲の釣行記

40歳を過ぎてからバス釣りを始めたいい歳したおっさんのバス釣りあれこれ。

バス釣りには何種類かの人がいる。
エサ釣りかルアー釣りか。
とりあえずエサ釣りはここでは語らずルアー釣りについて。

ルアー釣りにも何種類かの人がいる。

分け方はどれだけ執着しているか。

なんとなく他にやっている人がいて、釣りはしてるからまぁやってみたいかなで始め、それほど執着もなく釣れないから道具はあるけど年に何度か行って満足する人。

いや、いいと思うよそれも一つの関わり方。

とりあえず始めてみた、で、なんとなく面白くて時々通ってみてはいる。
あまり釣れないけどね。

それも一つの関わり方。

それもよし。

この執着の段階が釣果を左右する釣りがバス釣り。

どれだけバス釣りに執着してるか。

僕はバス釣りを始めてから3年が過ぎ4年目に入った。

今が一番執着している。

執着するとなんで釣れないのかが少しづつであるが見えてくる。

執着してるからなんだけどね。

雑誌やプロの言葉やDVDやYouTubeで語られるバス釣りのノウハウ。

それぞれの段階で心に届く言葉が違う。

最初の頃は本当になんとなく見てたそれらのものが最近痛いほど心に届く。

ああ、釣れなかったのは当然なんだな。

バスに限らず釣りはほとんど自然との対話だ。

自然は生易しく僕らを迎えてくれるものではない。

今年僕はまだバスを釣ってない。

しかしナマズは7匹、雷魚は1匹釣れている。

バスを釣りたいのは当然なのだが、彼らは僕に答えてくれている。

自然との対話をしたい、その素直な欲求が子供の頃からの僕を支えてくれている。
真っ暗な森の中に一人でカブトムシを取りに行き、小川のせせらぎにイモリの姿を探し、ザリガニ取りに暗くなるまで時間を忘れた子供の頃。
僕にはその延長がバス釣りだ。

自然の中で自然と僕たった一人との対話。

今までは坊主釣行が続き、焦り、苛立ち、周りの釣果を妬み、なんだかそれって違うなって最近思う。

もちろんナマズや雷魚は本能によってルアーを食うわけでそれを騙して針をかける行為はとっても野蛮だ。

でもそんなことでしか今の僕は自然と対話できない。

だから彼らがとても愛おしい。

バスを狙ってナマズや雷魚がかかったらそりゃあ残念だけどでも、彼らも自然の一部で僕にこんな愛おしい感情を思い起こさせてくれた。

バスを含めすべての魚たちと関わる、僕は彼らに遊んでもらっている。

これからもこんな気持ちでルアー釣りを続けて行かれる。

そんな風に思えた。

僕のルアー釣りは、ここから新しい一歩を踏み出せた気がする
{7604D6F0-470B-4D67-9C19-D00D633AB85E:01}



魚が釣りたかったら、執着しなくちゃいけない。
ありとあらゆることに。
バスプロってきっとそういうものだ。

バスの習性、一言に行っても簡単なものじゃないけど文献は山ほどある。
それこそ動画やブログ、データや釣行記。

釣れない釣れないと嘆く暇があったらその暇をそこに充てたらいい。

なんでもそうだろう。

そして時間の許す限りバスと、そして自然と対話する。

その中に答えはすべて含まれている。

て、まだ今年一匹も釣れてないんだけどね?(笑)