自分自身の稽古でも、中学生の指導でも、思うのは「気を入れるのは後でいい」ということです。
どういうことかというと、基本練習において、動作の内部感覚を研いでゆくということを優先させるということです。
最初から気迫満々で稽古しても、動作の内部感覚を研ぎ澄ますことが難しい(いや、全くできない)ということです。
根性ではアカンのです。
自分の内部感覚を感じる集中力が鈍るからです。
こんなこと書くと「何を言っている。けしからん。稽古は最初から最後まで本気の気迫が大事だ」と叱られそうです。
しかし、私は先に身体操作。その上に気を乗せる順番が大切だと思っています。
一般的には、筋力に頼って動作するのですが、特に私のやろうとしている動きは「抜き」によって動作が開始しますので、その感覚を養うには、静かにやらないと感覚を捉えられないのです。
他人から見て、全く一生懸命にやってないように見えるかもしれませんね。
ほとんどの剣道家には「そんな稽古、何の役に立つの」なんて映るかもしれません。
私の高校時代では一切できなかった稽古です。
楽器の練習も同じで、例えばギターなら、まずはメトロノームに合わせて運指などの基礎練習をゆっくりから徐々にスピードを上げていき、行き詰まったら少しスピードを戻して遅くして練習し、またスピードを上げて限界を確認し、また少し戻って・・・というように、スムーズで正確な動きの精度を上げていくことが大切です。
その上で曲の各部の練習を重ね、全体の演奏を錬っていき、最終的に感情をどう表現するかということになっていきます。
最初から「感情を込めて」なんてやろうとしても、運指も表現力もままならないような技術では、話にならないのです。
基礎練習は、気迫よりも、集中力ですね。いや、立合も気迫というより集中力。
気迫は出そうとするものではなく、相手があれこれ感じることでいいと思っています。
「おお、やっぱりそうやな」と思った方は、現代剣道家では絶滅危惧種ですから、そのまま続けていただきたいです
気迫があっても健全な身体と動作にはならない。
健全な身体と動作にこそ気は宿る。
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