「相手の動きや心を読め」なんて指導もありますね。

 

でも相手の動きや心を読もうなんてすれば、意識が強くなって居ついてしまうと感じています。

 

恐懼疑惑は自らの先入観や思い込みが生み出すものですが、相手の動きや心を読もうとすれば恐懼疑惑に陥ることになります。

 

「読んで打つことが最上」という考え方は、「読もうとして居つく」という危険を「それは修行が足りない」という理屈で片付けちゃうことになるように思います。(戦場で戦うことが前提の侍は、この考え方では生きて帰ることはないでしょう)

 

しかし、色んな人の心を手に取るように分かるようになるなんて信じたりすることは、非常に傲慢に思うのです。

そんな考えを持っているようでは普段の生活もギクシャクすると思うのです。

 

「それみたことか」「やっぱりな」が口癖の人を目指してどうするんやと思うわけです。

 

「人の動きや心を読もうとしない」ことが重要に思います。

 

ではどうするか。

 

それは、これまでにも色々書いてきましたので、吟味ください。

 

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