気力、気合、気迫という言葉は剣道に限らずスポーツはもちろん、仕事でもどこでも聞く言葉。

 

全て同じような意味に捉えられがちですが、私の感覚は違います。

 

まず、気力ですが、これは気の充実ということであろうと考えます。

無気力では何もできませんから。

 

次に気合ですが、これは気の充実を図るために意図的に行う行為自体をさす言葉だろうと思います。掛け声がその代表例でしょう。

 

最後に気迫ですが、これは自分が意図的に出そうとするものではなく、相手が勝手に感じるものだろうと思います。こちらの気の充実を見て相手が「気迫」と感じるものだと考えるようになりました。

 

では、剣道で自分自身が大事にしないといけないのは何かと考えますと、気力だけが大事ということだと考えています。

 

気力(気の充実)がすでにあれば、気合はいらないし、こちらの気力を相手がどう感じようが知ったこっちゃないという考えなんですニヤリ

 

相手が「凄い気迫だ」なんて感じてくれたのなら、それは相手が自ら恐懼疑惑に陥ったわけですが、相手が自由に感じるべき気迫なるものをこちらが意図的に発生させる必要なんてなく、ただただ、自分自身の気の充実に徹すればいいわけです。

 

気の充実のためには、心身ともに健康で、穏やかであること。

仕事でも気力は大事ですが、いちいち大声なんて上げませんし、険しい顔や、力みなどの余計なものもいらない。(「弱い奴ほどよく吠える」は戒めの教え)

 

これに尽きると思っています。

(小学生や中学生などへの指導では、気の充実の仕方が分かってないので声を出すように言いますが)

 

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