現代剣道の指導においては「遠間から打て」とよく言われます。

 

遠間からだと身長の高い者、腕の長い者が有利という気もしますが、技前の攻め合いを制して「勝って打つ」ができれば「遠間からでも打てる」という理屈のようです。

 

他の武道では、遠間から飛び掛かるのは相手に対応の時間を与えることになり意表を突く時以外は推奨されませんが、手足より速く動く剣先がある竹刀を使う剣道ならではかもしれません。

 

でも「遠間から打つ」をしようとしますと、腕を伸ばして打ちたくなるのが普通です。

竹刀も規定内で、できるだけ長いものを使いたいと思うのが普通の傾向ですね。

 

剣道具店に行っても規定の長さであれば規定ギリギリの重さになるようにしている竹刀がほとんどで、たとえば一般男子の510g以上になる竹刀は三尺九寸の竹刀しかなく、三尺七寸や三尺八寸の竹刀で510g以上になるようなものは売っておらず、特注しないといけないのが現状です(お金もかかるし、私も仕方なく三尺九寸を使っています)

 

これはやはり、遠間から打てるのが良く、そのためには竹刀も長い方がいいという理屈や気持ちの現われだと思います。

 

さて、五輪書には「秋猴の身」という教えがあります。

 

一 しうこうの身と云事。
秋猴の身とハ、手を出さぬ心也。
敵へ入身に、少も手を出だす心なく、
敵打つ前、身をはやく入心也。
手を出さんとおもヘバ、
かならず身の遠のく物なるによつて、
惣身をはやくうつり入心也。
手にてうけ合する程の間にハ、
身も入安きもの也。
能々吟味すべし。

 

「秋猴」とは手の短い猿の事です。

 

爪で引っ掻こうとする猿が、手から伸ばすんではなく、敵に我が身を寄せて手を短くしたまま引っ掻くようすが目に浮かびます。

 

武蔵は、手を伸ばすのではなく、身を十分寄せて手を短く使って切れと言っているのですね。

 

遠間でいれば、高身長で、手が長く、得物が長い方が有利ですが、相手の懐に飛び込んでしまえば、優劣はなくなるのです。

 

また伸ばした腕より、短く使った腕の方が力みはないのに強い。ゆえに打ちも強くなる。

 

つまり、自分の身を相手に寄せて打つ、相手の身を自分に寄せて打つことが大事だということですね。

 

これを実現するために体の運用をよくよく研究しないといけないし、どういう入り方をするかを錬る必要があります。

 

勇気を持って(いや、打たれることを平気で)、入り身になって手を短く使って打つという稽古が、遠間から打つよりもよほど大事なことと思っています。

 

いえ、身体の使い方を錬る練習段階おいては遠間から一足で打てる身体の使い方も身につければいいのです。

でも、「できる」けども、実践ではそれはやらないという感じ。

手を伸ばして打っても身体の使い方は上手いとは言えないのです。

 

かといって、「相手の隙間を狙って懐に潜り込んでやろう」というのもダメで、それでは相手の動きを目で見てからということになるので後手となります。

 

「背が高い」「腕が長い」「竹刀が長い」「振りが早い」「構えはこうだ」などといった偏ったこだわりは心の居つきになるとも武蔵は五輪書で忠告しています(五輪書火の巻)。

 

“切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ 一足踏み込め そこは極楽”

(柳生石舟斎の歌だとか宮本武蔵の歌だとか定かではありませんが)

 

腕を短く使うと竹刀も振りやすいことに気づくはずです。

肩甲骨や肘、胸椎の働きも分かってくることでしょう。

 

お試しください。

 

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