以前にも「自分で確かめる大切さ(伝言ゲームの危険性)」でも書きましたが、動きを言葉にするのは難しいですね。
聞き手の解釈によって全く別物となってしまう。
なぜそういうことが起こるかと考えますと、自分の経験則や信じていることが土台となって言葉を解釈しようとするからではないでしょうか。
「理解できないことを嫌う」ので「分かった気になる」方法として、自分の分かることに置き換えてしまうのかもしれません。
でも、「今の自分には分からない」ということが大切です。これが、真実を求める原動力になるのです。
科学でも同じですよね。分からないから研究する。分からないことがあると知っているから知ろうとする。
もし科学者が「現代科学で分からないことはない」としてしまえば、そこで終わりですから。
「先生にそう教わったから」「みんながそうしているから」「昔からそうだと言われていると聞いたから」「雑誌の特集にそう書いてあったから」「五輪書の現代語訳を読んだから」では、練りではなく思い込みですから、深化はしない。
体の構造や感覚を注意深く観察して「ほんとうにこれでいいのか」と千日も万日も練るということですね。
私も、科学者の探求心を見習って、自分自身で剣道を練っていこうと思います。
一年後、五年後、十年後の私の剣道はどうなっているでしょう。
楽しみです。