紀元前323年、帝国を築いたアレクサンダー大王(アレクサンドロス大王)の急死に伴い

ディアドコイ(ギリシア語で後継者)の争いが起きました。

その複雑な関係を簡単にまとめ古代コイン発行を確認できた人物にはマーキングをしました。

なお、肖像は漫画「ヒストリエ」5巻6巻から借用しました

 

アレクサンダー大王の学友として登場

大王死後に開催されたバビロン会議で主導権を握り帝国の摂政に就任。

 

エジプト遠征中、ナイル川渡河に失敗したペルディッカスを暗殺。

紀元前305年、セレウコス朝シリアを樹立したが

プトレマイオス1世と対立し亡命していたプトレマイオス1世の息子により暗殺された。

 

アレクサンダー大王の父の右腕として登場

ペルディッカス暗殺後に開催されたトリパラディソス軍会で新たな帝国摂政に就任。

病死する際に後任の帝国摂政として↓老将ポリュペルコンを指名。

主人公エウメネス滞在先での宴会に登場

 

前記のトリパラディソス軍会で帝国軍総司令官に就任。

摂政後任を巡るポリュペルコンとカサンドロス(アンティパトロスの息子)の争いで後者を支持。

前者と組んだ漫画「ヒストリエ」の主人公エウメネスを打倒。

ディアドコイ最有力の勢力となり、紀元前306年、マケドニア王を称したが

他のディアドコイによる反アンティゴノス同盟とイプソスの戦いが勃発して戦死。

ディアドコイの中で最初に王を称した人物。

漫画「ヒストリエ」でアレクサンダー大王の父が偽名として使用するが、本人は登場せず

 

漫画「ヒストリエ」の主人公

マケドニア出身ではないためアレクサンダー大王の王家を尊重する立場であったが

ペルディッカスから支援を受けていたことが仇となり彼が暗殺されると孤立。

その後、ポリュペルコンと組んだため

カサンドロスを支持するアンティゴノス1世と戦うことになり敗北。

アンティゴノス1世自身はエウメネスを重用するつもりであったが

エウメネスに反感を持ったアンティゴノス1世の部下により殺害されたとされる。

 

アレクサンダー大王の学友として登場

帝国摂政となったアンティパトロスの息子でありながら、その後継者に指名されず反発。

支援者であったアンティゴノス1世がマケドニア王を称すると

これに対抗して自らもマケドニア王を称した結果、マケドニア本国では

アンティゴノス1世によるアンティゴノス朝とカサンドロスによるアンティパトロス朝

が対立することとなった。

イプソスの戦いでは勝利したが、その4年後に病死。

 

前記のアンティゴノス1世の息子。

アンティゴノス1世の戦死後、アンティパトロス朝を後継者争いに乗じて打倒し

アンティゴノス朝マケドニア王として復活。

セレウコス朝シリアに攻め込むが囚われの身となり

息子のアンティゴノス2世が王位を継承することとなった。

 

アレクサンダー大王の学友として登場、既にペルディッカスのライバル

バビロン会議でエジプトを統治することとなりプトレマイオス朝初代王(ファラオ)となった。

ペルディッカスやアンティゴノス1世と対立し彼らを死亡させた一方で

ペルディッカスを暗殺しエジプト遠征を阻止したセレウコス1世を支援。

ディアドコイの多くが非業の死を遂げる中で天寿を全うした。

 

バビロン会議でトラキア(バルカン半島南東部)を統治することとなった。

当初はアンティゴノス1世とともにカサンドロスを支持していたが

アンティゴノス1世がマケドニア王を称したことに対抗しトラキア王と称した。

イプソスの戦い後には小アジアの西部から東北部まで領有することとなったが

後継者選びを誤りセレウコス朝シリアと戦い敗死。

トラキア王国はセレウコス朝シリアに併合された。

 

以上、ディアドコイが樹立した国として

アンティゴノス朝マケドニア/アンティパトロス朝マケドニア

トラキア王国セレウコス朝シリアプトレマイオス朝エジプトがありますが

残ったのはアンティゴノス朝マケドニアセレウコス朝シリアプトレマイオス朝エジプト

いずれも最後は共和政ローマに併合されました。