Divo211, 247.5g (Silver), 73mm, mintage ?, AU55
ナポレオン3世のメダルの中では重量・直径ともに
1855 France Paris Universal Exposition Medalを超えて1位となるメダルです。
その結果、自分が嫌いなデカスラブに入っています・・・持っているだけで手が疲れます。
参照:デカスラブは嫌いだ~!
ナポレオン3世と言えば伯父ナポレオン1世と異なり戦争には弱かったイメージがあります。
しかし、クリミア戦争では英国・サルディニア・オスマン帝国と同盟し
ロシアの南下を阻止することに成功しました。
そのクリミア戦争中に起きたBattle of Inkermann:インケルマンの戦い
を記念して発行されたものが今回のメダルです。
インケルマンはクリミア半島南西部でセバストポリ要塞の北に位置する港町。
このあたりから英仏連合軍はロシアのセバストポリ要塞へと進みロシア軍と衝突。
ロシア軍に多大な損害を与えて撃退したのですが
英仏連合軍も甚大な損害を被ったためセバストポリ要塞への攻撃は中止となりました。
表のデザイン
メダル彫刻師Oudinekによるナポレオン3世無冠像です。
1854年には既に皇帝として即位していましたが(在位1852〜1870年)
この頃はまだ無冠像で、有冠像になるのは1860年からです。
裏のデザイン
ロシア軍を撃退するフランス軍と英国軍を象徴する女神です。
向かって左の女神が鷲を掲げる杖を、右の女神は獅子を掲げる杖を持っていますので
左がフランス軍、右が英国軍の象徴と考えられます。
鑑定こそAU55と高くはないのですが、摩耗は少なく見映えは非常に立派です。
しかも、直径は73mmもありますから迫力満点です。
PS
今やロシアが不法に占拠しているクリミア半島ですが
元を辿ればロシア帝国がエカチェリーナ2世時代の1783年に併合しています。
なぜ、ウクライナ領になったのか?
ソ連時代の1954年、ソ連内でロシアからウクライナへと移管されたのです。
どうして、そんなことを?
ロシア帝国に併合される前、クリミア半島にはクリミア・ハン国があり
暮らしていたのはタタール人でしたが、スターリンの政策で追放されてしまいました。
その結果、クリミア半島は荒廃・・・
そのクリミア半島を再生するには遠いロシアより近いウクライナの方がよい
ということが移管の理由だったそうです。
ウクライナ出身のフルシチョフの独断で行われたと思っていましたが
これは大きな誤解でした。
そもそも、フルシチョフはウクライナ出身ではないそうです。