ナポレオン・ボナパルト(1769〜1821年)の妻と言えば

ジョセフィーヌ(1763〜1814年)が有名ですが

今回紹介する人物は2番目の妻であるマリア・ルイーザ(1791〜1847年)です。

 

Italian States (Parma), 1815, 40 Lire, 12.9g (Au 0.9), C32, Numista Rarity Index 83

 

”英雄、色を好む”の言葉通り、ナポレオンも例外ではありませんでしたが

正妻はジョセフィーヌとマリア・ルイーザの二人だけでした。

 

最初の妻であるジョセフィーヌはナポレオンより6歳年上、恋多き女性であったそうです。

夫婦仲はそれほどよくなかったのではないかと思わせるエピソードもあるのですが

表向きの離婚理由は男子を産まなかったからとされています。

但し、離婚後もナポレオンの良き話し相手であり

ナポレオンがエルバ島に流されてからも支援をしています。

更に、セントヘレナ島でナポレオンが亡くなる際

最期の言葉は”ジョセフィーヌ”であったとされています。

 

さて、マリア・ルイーザです。

彼女は神聖ローマ帝国最後の皇帝フランツ2世の娘ですから貴族中の貴族。

そんな彼女ですからコルシカ島の貧しい貴族出身のナポレオンを当初は嫌っていたそうです。

しかし、1810年に結婚後、ナポレオンの優しさにより愛情を抱くようになったそうです。

さすが、英雄ナポレオン、ですね。

 

ナポレオンとの間に男子も恵まれ順風満帆と思われたものの

1814年にナポレオンが没落すると彼女もまた苦難に直面。

紆余曲折の末、パルマ公国君主(女公)となり1847年に亡くなるまで地位を保ちました。

*パルマ公国はイタリア北部にあった国

 

ナポレオンは”マリア・ルイーザに自分の心臓を保管して欲しい”と遺言しましたが

マリア・ルイーザは”心臓は墓に葬りなさい”と極めて常識的な(?)対応をしたそうです。

というか、ナポレオンが落ち目になるにしたがい夫婦仲も険悪になっていたようです。