お久しぶりです。

 

いろいろと困ったことが起き、気分も落ち込んでいますが、禁欲をはじめ、小食・瞑想・筋トレ・有酸素運動・ムーラバンダなど、各種の行動で、この困難な状況というよりも、困難な状況に対する自分の反応や脆さに対処していきたい。

 

冷静に、客観的に見つめて考えれば、自分の悩みや不安なんて全部取るに足りない幻想なのでしょう。

死ぬことさえ、ほんとはその本人にとってすら大したことがないはずなのです。

 

それを、実感して笑い飛ばせるようになりたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世間では食べ物を中心とした、日用品全般の値上げがひどいと聞きますし、もちろん僕自身もスーパーに行くと実感します。

 

しかし、このことを小食や不食、一日一・二食へのチャンスと考えるといいのではないでしょうか?

 

「値上がりがひどいから節約で朝食を抜いてみよう→あれ、意外と調子がいいな→朝食いらなかったな」などとなり、三食食べなくても別に構わない、むしろ体調が良かったりさえするという事実に多くの人が気づく機会と言えるかもしれません。

 

普通ならば、「食事は健康を守る上で大切だから絶対に削っちゃダメ、娯楽費から削るように!」と言われますし、間違ってはいないと思いますが、その食事の「質」を良くし、量と頻度を少なくすれば、むしろ健康的になれるし、金銭的にも節約できて、これら二つを両立できるはずです。もちろんこの場合の食事の「質」とは、高い食品を買うという意味ではなく、野菜・果物・玄米を中心とした食事という意味で、それらは工夫次第で十分安く買えますし、酒・タバコ・お菓子・ソフトドリンクなどを買ってる人は、それを辞めるだけで十分費用が捻出できると思います。

 

ということで、値上げなどのピンチをチャンスに変えるべく、一日一食や断食をご自分の身体で試してみられることをお勧めします。

 

 

 

 

今日、仕事も休みですし、天気も良かったので、家の近くの自然公園の中で『食べない人たちビヨンド』という本を含めた、複数の本や漫画を読みながらリラックスしてきました。ちなみにビヨンドの前の『食べない人たち』は今年の冬か春辺りに読みました。

 

 

 

 

 

 

今の時点ではまだ秋山さんのパートしか読んでませんが、「不食に慣れて続けていくと、精神性が変わる(意識の次元が上昇する)」というような内容が書かれていて、非常に興味深かったです。

 

自分は肉食を減らし、一日一食を続けてからまだ一月ほどしか経っていませんが、前の記事で書いたように、確かに性格や物事の認識に変化があるためです。といっても、相変わらず性格良くないし、小さなことでイラッとすることもあるのでまだまだな人間なんですけどね(笑)

 

続けていけばもしかしたら何か善き変化があるのかもしれないなと、多少期待を膨らませたところであります。

意識の次元上昇かぁ~、あるといいなぁ(笑)
 

 

こんにちは。

相変わらず一日一食が続いているのですが、空腹時の精神状態について思うところがありました。

 

というのも、世間的には「お腹が減ってるとイライラしやすい」とか「空腹状態だと力が出にくい」とかよく聞きますけど、自分の場合はむしろ逆な気がします。

 

食べ物を食べることによって副交感神経が優位になり、リラックス状態になって穏やかになるということはあるかもしれませんが、逆に言うと、そんなことで態度や発言が容易に変化する人間にはなりたくないなと思うのです。精神的一貫性とでもいいましょうか。

 

むしろ食べ物を食べてぐったりしてしまい、それによって一時的に弱くなってるだけではないのかと感じます。食べると能力も数時間は低下してしまう感じがしますし。

 

世間で言われている「食べないと元気出ないよ」とは、果たして、彼ら彼女らの本当の実体験から言われていることなのでしょうか?それとも、周りがそう言っているのが無意識下にすり込まれ、真似して口を突いて出て来ているだけなのでしょうか?

 

まずは自分の身体である程度の期間試してみて、そこから発言した方がいいはずですが、ほとんどの人たちは断食や一日一食を数日間でさえ試していないのに、偏見や世間的定説でものを言っているような気がします。

 

もちろん自分の身体でしばらく試してみた結果、「ああ、やっぱり食べないとぜんぜん力でないわ、仕事にならないわ」と感じたのならそれがその人にとってのその時点での答えだからいいとも思うのですけどね。

 

少なくとも自分にとっては、今現在の一日一食は心の状態も良好で、むしろ心穏やかになるような気がするので、続けてみようと思います。一日一食だけなので、食事もより美味しく感じるし、食費の節約になることだけは確実ですしね。

 

 

 

 

 

またお久しぶりの投稿となってしまいました。

 

前回の記事で言っていた断食ですが、恥ずかしながら丸一日の断食で終了しました。

というのも、断食明けの朝、全身がだるく、それだけなら我慢すればいいのですが、心臓がずっとドキドキしていて、さすがに不安になったため急いでお菓子を食べました。ネットで調べた自己判断ですと、おそらく低血糖症状ではないかと思います。

 

ということで、自分の場合、断食するにしても青汁やジュースなどの流動食は取った方がいいかもしれません。

また断食には挑戦するつもりですが、しばらくは前からある程度行っていた一日一食を継続しようと思っておりまして、実際、一月以上継続できています。

 

そして一日一食なだけでなく、食事の内容も玄米菜食・魚介類・果物と、肉を避けてるわけではないのですが、ペスコベジタリアンチックな内容になってきました。

 

そしてそれとともに、よく言えば性格が穏やかで欲が少ない状態、悪く言えば元気がないような状態になっています。べつに筋トレやランニングもしているので、肉体的には元気なのですが、落ち着いてい過ぎるような状態なので、もう少しテンション高くあってもいいかなと思いもしますが、まあ今の方がトータルではいいんでしょうね。

 

とりあえず、たまにはお肉も食べつつ、基本は玄米菜食+魚介類で、もちろん一日一食で行こうと思います。

あと、腸内環境に配慮した食事(ビオフェルミンの粉とオリゴ糖の粉)も取っており、いい感じです。

 

また心境や体調の変化等あれば記事にしたいと思います。

いつもありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

タイトルの通り、9月4日より断食と禁欲をします。

また結果をお知らせしたいと思います。

2021年1月1日からまた、禁欲を始めています。

相変わらず種々の効果はありますが、いい意味で禁欲の効果に期待しすぎないようになっていることが、実はいいことなのかもしれません。

 

今までは性的禁欲による効果を気にし、それをいわば目的化してしまっていましたが、大切なのはそれを手段として何をするのか考えるのかです。

 

あと、ここ数年でいろいろ学んだことにより、「結局人間はどう生きたってそれが最善であるのだ」という考えを持つようになり、それが成長・向上至上主義的な考えを自分から取り去りましたので、そういった意味でも落ち着いています。

 

結局、何があろうとどうなろうと、人生は完ぺきでしかありえないんですよ。

そう思えないのは、我々がまだ未熟で至らないだけです。

 

今年もよろしくお願いいたします。

 

ちょうど1月1日ですし、2020年代に突入ということで、また性的禁欲生活を始めたいと思います。

といっても、それは気にせずに、ただただ、自分の人生を充実させ、やりたいことをやるように、生きたいように生きることに集中するのみですが。

 

もし何か報告したいことが出来れば、小さなことでもご報告できればなと思います。

 

 

幸福を構成する要因と言うのは、人によって個人差もあるし、簡単に「これがそうだよね」ということは出来ないし、そんなのは勝手な思想の押しつけになってしまうのでもちろん言うつもりもないが、大きな幸福の要素の一つとして、「自分の価値観・信念・思想を築き上げ、それに沿った生き方をしているか」ということが挙げられると思う。

 

逆に言えば、これさえ日々行えていれば、その人は他者や世間の眼から例えどのように映っていたとしても、充実していて幸福であるだろう。

 

当然、それにはまず”自分自身の”価値観を己の中に築く必要がある。

「教養」という言葉は英語などで「ビルディングス」というらしいが、その点で、衒学的なものでない本当の教養とは、これを指すのではないか。

 

そしてさらに、では自分自身の価値観や思想、信念なんて、どうやったら築けるのかといえば、やはり多くの自分の直接経験である一次情報と、本・映像・人からの伝聞などによる、二次情報に多く触れつつ、それらを自分の頭で考えて、さらに心で感じて、パトスとロゴス両面から自分の脳内で醸成させて、創り上げるものであると思う。

 

一次情報については、勉強に限らない人間性の発現としての学習能力が有効な能力として働き、

二次情報については、感性・想像力が有効な能力として働くのだと思う。

 

そのため、これらの能力を日々磨きつつ、自分の体験やその他の様々な情報から多くを引き出し、自分の価値観を紡ぎ出す。

そしてそれをなるべく実践し、その思想に沿って生きられるように、努力ではなく、前向きで歓びにあふれた意欲を以て生きる。

 

これが多くの人に共通する、幸福な生き方なのではないかと考える。

 

「前向きな諦念」という感情から、多くの事態は好転するのではないかと思う。

 

「必要だと思わされていたあんなものこんなもの、実はいらなかったんだな」

「社会や他者から入れ知恵され脅されていただけで、別にそうじゃなくても良かったんだ…」

「自分を飾ったり偽ってまで、人に好かれたり、よく見られる必要はないんだな」

 

そういった真の気づきであり、理解が、本当に人を前に向かせて、初めて歩ませることができるのだと思う。

必要でないばかりか、あるとむしろ邪魔なもの余計なものを諦めて、そういった重りを捨てて初めて、人は明るく身軽に歩きだせるのだろう。

 

当たり前のことではあるが、呪いのような洗脳が足を引っ張って実践が難しいので、自分で自分を洗脳して行けばいい。

何度もその度に立ち止まって、思い直し、論理とファクトの根拠を使って思考しつつ、論理以外の感情や直感や想像力でも触れてみること。

 

ロゴスとパトス、両面から、すぐここにある本質的なものを確認するだけでいい。

それだけで事足りる。やがては自分の真理へと到達する。

 

 

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