ベルリン州立歌劇場で新演出『ニーベルングの指輪』を観る(その2.リングの感想・ネタバレ) |   kinuzabuの日々・・・

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ベルリン州立歌劇場のワーグナー作曲楽劇『ニーベルングの指輪』2022年10月の新演出の感想を書く。と言いつつ、実はあまり自分でも消化できてない。

 

ネタバレになるので、その点、ご了解ください。


行ったのは、2022年10月29日から11月6日までの第三ティクルス。指揮はダニエル・バレンボイムから代わったクリスティアン・ティ―レマン。


プログラムの表紙


配役表




まず、演出上、目に留まったことを書く。


全体像は、読み替え演出で、研究所の研究員である神々(研究所長はヴォータン?)がニーベルング族、ヴェルズング族を監視し、刺激を与えてどう行動するかその結果がどうなるかを調べている。どの演目にも開演時に建物の平面図が投影されるが、これは研究所(ヴァルハラ)の平面図だろう。舞台装置は細かな部屋に区切られていて、左右上下前後に動く。劇場の力の入れ方がひしひしと伝わってくる。


『ラインの黄金』では、研究所に設けられたガラスに囲まれた観察設備である『LABO』に拘束されたアルベリヒが『LABO』から逃亡し、地下に作業所を作る。何の作業所かはわからない。神々の世界では、契約に縛られたヴォータンがギャングのような巨人族に振り回され、すべてを見ていたエルダに世界(研究所?)の終わりを告げられて、指輪を手放す。

『ワルキューレ』では、ヴォータンに監視された『家』で、ジークムントは指名手配犯、フンディングは警察官に読み替えられて物語が進む。逃亡した兄妹は研究所地下の実験動物のケージ室に迷い込み、ジークムントは警官隊に撲殺される。ブリュンヒルデは舞台前方に立ち、舞台が後方へ下がって、ヴォータンと別れ、舞台に取り残される(惜別の効果が最高)。

『ジークフリート』では、1幕、ノルンに監視された『家』で、年老いたさすらい人も監視対象になる。暴れまわるジークフリートがノートゥングの剣を鍛えることなく、『家』の中のものをハンマーでたたきつぶしていく。

 

2幕、アルベリヒも老いていてヴォータンと二人で並んで回転舞台を歩く。ハーフナーは研究所の資産を持ち去ったことで研究所に拘束されたのか、拘禁服で現れジークフリートに殺される。

 

3幕、ヴォータンは自ら槍を折り、ジークフリートは鍵のかかったドアをたたき壊してブリュンヒルデの元へ行く。さすらい人とブリュンヒルデが研究所の『LABO』の中に入り、ストレッチャーにブリュンヒルデを寝かせる。そしてジークフリートがレスキューシートを取り、ブリュンヒルデを目覚めさせる。

『神々の黄昏』では、1幕、年老いたノルンが『家』に入り込み、これまでの出来事を語る。ギービヒ家は横にスライドする装置なので、研究所(ヴァルハラ)の影響下にある。ハーゲンの激しい歌ののち、待っていたアルベリヒと一緒に舞台を去る。ワルトラウテも『家』で歌う。ジークフリートは直接『家』に出てくる。隠れ兜もない。

 

2幕は会議室装置。最後は真剣な三人の歌の後にどこまでも能天気なジークフリートがグートルーネと踊る。

 

3幕は『LABO』にいるジークフリートにラインの乙女たちが絡む。突然、バスケットコートが現れ(シャーガーがシュートを決める)そこで、ハーゲンがチームの旗でジークフリートを突き刺す。ジークフリートは『LABO』まで移動して、『LABO』の中でこと切れる。ブリュンヒルデが『LABO』に入り、研究所の人々も、ヴォータンもエルダもラインの乙女たちも『LABO』に入り、ジークフリートの死を悼む。最後は装置全体が舞台後方に下がり、黒い舞台となり、そこに文章が投影されて幕となる。


『ラインの黄金』『ワルキューレ』は読み替えで、とくに『ワルキューレ』は嵌っている。『ジークフリート』では、研究所の監視を振り回すような能天気で快活なジークフリートを強調。『神々の黄昏』では、やはり自由なジークフリートがハーゲンに殺されて、元凶の『LABO』に戻ってくる。

全体的には、過去にどんなに大きな物語があっても、能天気で自由な英雄にはかなわず、最後には元のさやに落ち着く感じ。神々も年老いていく。読み替え演出は物語が矮小化された感じもするが、終わってから大きな充足感に浸れた。満足した。


歌手は、ヴォータン役のミヒャエル・フォレが終始迫力のある声でまさに圧倒された。すばらしい。ブリュンヒルデ役のアンニャ・カンペもあの優しい声であの声量、迫力かとぶったまげた。ジークフリート役のアンドレアス・シャーガーもすごかったが、本領発揮は『神々の黄昏』からか。ファゾルト、フンディング、ハーゲン3役のMika Karesも圧倒的な声で会場を満たした。ジークリンデ役のVida Mikneviciuteも役に没頭してよかった。ローゲ役のロランド・ヴィリャソンも演技力で存在感が抜群。ジークムントを除き、いい歌手が多かった。

ティ―レマンの指揮はもう圧倒的。テンポは雄大で、ここぞというところの音の伸ばし方、音量の上げ方が半端ない。いたるところで瞠目して、音の洪水に引き込まれていった。

SKB(シュターツカペレベルリン)のオケは、いいのだけれど、ここぞというところで木管、金管が音を外す。ちょっと残念だったかな。

ところで私の席は、平土間の一番端の席で、頭に1階席が被っているせいか、音の抜けがもう一つだった。『ジークフリート』『神々の黄昏』では、内側となりの二人組が来なかったので、席をずれたら、音が違ってびっくりした。元の席は舞台はよく見えたが、音を取るか、舞台を取るか、両方を満たす値段を取るか悩ましいところではある。



チケット購入から、長時間の飛行機、2週間の長いホテルでの生活などいろいろ大変だったが、行ってよかったと思った。またこんな機会があれば是非とも行ってみたい。といいつつ、次は1月のウィーンに行く。これも大変楽しみ。