バイロイト音楽祭『リング』への道(その2、ネタバレ・世界感) 2022年8月 |   kinuzabuの日々・・・

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無謀ではあるが、今回2022年8月のバイロイト音楽祭新演出『ニーベルングの指輪』(以下、リング)について、思ったことを書く。 演出家はValentin Schwarz。はっきり言って大いなるネタバレである。間違いや勘違いなど多々あるとは思うが、私の感じた内容を率直に書くので、ご容赦願いたい。ちなみにプログラムは写真は観たが文章は読んでない。

 


今回の『リング』については小ネタがいっぱいあるが、4作を通した流れ(世界感)を先に考えてみようと思う。小ネタや歌手、音楽については別のブログに書く。


世界感1

『ラインの黄金』の始まりは、幕に映像が映る。最初は二重螺旋のようで遺伝子なのかと思うが、その先は双子の胎児に繋がっている。二重螺旋のへその緒。そして双子の片方が暴れだし、他の胎児のへその緒が外れて血が広がってしまう。

先に言ってしまうと今回の『リング』の黄金は子供である。他の子と混じらず、一人で遊んでいる子供が指輪となっていろんな場面で黙役で出てくる。その黙役の元が血塗られた胎児なのかもしれない。

そして最後には双子の胎児が安らかに生き続けている姿が投影される。指輪として暴れまわる子供は最後は暴れるのをやめ、胎児に戻ったのかもしれない。


世界感2

今回の『リング』は、演出が本来の内容より時間が先に進んでいる。

 

例えば、『ラインの黄金』第二場ではすでにワルハラに神々が住み、メイドや執事を侍らせて、優雅な生活を楽しんでいる。

また、『ワルキューレ』では第一幕のジークリンデ登場からすでに臨月の子供を宿している。ジークムントと再会して交わってこどもを儲けたわけではない。第三幕では子供も生まれる。

『ジークフリート』第二幕では若いころのハーゲンが黙役で現れ、弱ったハーフナーの面倒を見ている。

時間の感覚が内容と異なっているので、出来事の時間や順序の秩序にとらわれてはいけないのかもしれない。


世界感3

『ワルキューレ』と『ジークフリート』の舞台進行が酷似している。演技や結末は違うが、舞台装置の流れが同じで、同じ物語を繰り返し見ているような気がした。

つまり『ワルキューレ』のジークムントと『ジークフリート』のジークフリートが同じ体験をする。結果は異なれど、2回目の挑戦でやっと指輪を取り返したことが強調された印象。そして『神々の黄昏』へと続く。


世界感4

『ラインの黄金』と『ワルキューレ』のワルハラも、『ジークフリート』のハーフナーの屋敷も、『神々の黄昏』のグンタ―の屋敷も、向きは違うがすべて同じ装置。一方、フンディングやミーメの家は貧しい。ブルジョワというか金持ちというか、それらが4作につながっている。こういう金持ちとそうでない者たちとの対比ということもあるのかもしれない。


世界感5

この演出上、最大の謎はジークフリートは誰の子供か?という点に尽きる。ジークムントとジークリンデが出合った時にはジークリンデは臨月だったが、フンディングの子供とは考えにくい。ではヴォータンの子供?

私はジークムントの子供だと思う。何故かというとこの演出は時間の概念を越えて物語が進む。そのなかでジークムントもジークリンデと遭遇したことがあったかもしれない。そうであってほしいと思う。

 

 

世界感6(追加)

 

『神々の黄昏』の終末は、プールの中である。さびれたプール。神々やグンタ―は豪邸に住んでいるのでプールもあるだろう。でももう寂れてしまった。もはや豪邸はなく、神々の没落が暗示される。また、『ラインの黄金』で幼稚園のプールが出てくるので、最後にもプール。ここになんらかの繋がりがあるのかもしれない。

 


(その2終わり、続く