自分の立つところ、を
しっかりさせなきゃな、と
改めて強く思っている


学ぶ、動く、語る・・・をあれこれ続けているけど
一番基本的なところを。

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水曜午後から休みをとり、つくばへ。

とその前に、
上司に『退職願』の書類がほしいといわれ
昼になり次第、近くのJUSCOへ。

 

用紙と封筒を探し、購入。書きながら、昼食すませる。

前から話はしていて、
そのときにはいらないといわれていたのだが・・・

やっぱりいるのね。

なんだかやっつけ感ありありで提出し、
急ぎ名古屋駅へ向かう
お土産を迷う間もなく購入し、新幹線に飛び乗る

どうにか予定していた時間に乗れてホッとして、爆睡!!!

東京着。

秋葉原からTXに乗ってつくばへ

13年前はじめてきた時を思い出しながら

TXが通ったことにより変わった周辺景色を眺める。

そのころ、TXはなく、つくばに行く手段は高速バスしかなかった。
東京からバスにのり、作り物みたいな首都圏の景色を慌ただしく抜け、

そこに見えたのは、ひたすら単調で心細くなるような雄大な夕焼けだった。

どこまでも続くススキ野
まるで永遠に沈まないのではないか、と思えるほど、ゆっくりゆっくり下りていく夕日
遠くにぽつり一つだけ見える筑波山はなかなか近づかず
ずーっとこうしてバスに揺られている気がした

西の田舎とは違うと思った。

近畿、中国、四国、九州へいくと、

そこには濃い空気がある。

都市であろうと、田舎であろうと。
地下で根がびっしり絡まるように、

無自覚的に存在している、歴史的つみかさね、しがらみのせいだろうか

馴れ馴れしい景色だと思うのだ。


でも 東路(なぜか、あづまという響きがとても合っている気がする)
それらを取り払ったような、あっけらかんと広がる平野

気楽さと、心細さを感じたのかもしれない。

「なんと遠くにきてしまったか」
と実感しながらバスに揺られて着いたつくば学園都市
都市と呼ぶには、どこの都市とも違うひんやり感があった


陸の孤島は
今や東京と電車一本でつながり、

駅には、他の地と違いのない生活感が漂っている

それでも
相変わらず知らんぷりな街だ
自分の人生くらい
自分で見つけろよ、と

言っているような気がする。

 

今回、つくばに来たのは、

ここで、実習メンバーとして、一緒に濃い時間を過ごした仲間が、

約10年ぶりに集まって飲むのというので参加するためだ。

 

思えば、一人きりで行動していた到着数日後、

 

草地で花見していた集団に飛び入り参加し、
その縁から屋久島のアウトドアな実習に参加したのが始まりだった

私にとって

もっとも今までと違う環境、違う体験をした3年間

 

喧嘩のように仲間と議論する濃い楽しみを知り

 

 

中国、スリランカ、モンゴル、タイ・・・
いろんな国や地域の出身者と一緒に食事作って食べることで

 

いろんな材料や調理方法、味を知った

バーベキューやパーティーも多かった

そして自分には無理だとおもっていたルームシェアも経験した

いろんなキャラクターと接する中で

誰かがパック詰めして名前を付けたよな人生ではなく
もっと自由に生きる人たちがいることを知った

 

屋久島実習の一部、ヤギコン、シシコンでは、
いたいけな存在が、命奪われた瞬間、圧倒的存在に変わった
その瞬間の閃光を目の当たりにした体験
このときの消化できないインパクトが消えないからこそ

 

今、狩猟にひかれているのかもしれない

 

不安で飛び込んだリスク評価報告書のアシスタント
そこで触れた科学的な公正さとそれを絶対視しない感覚
そしてアシスタントの仲間とすごした時間

思えば狩猟もサルサも料理も
今につながる種はこのころ貰ったものだった。

 



10年ぶりに会った仲間は
友というより朋と呼びたい人たちは、

思った以上に変わってなかった。
皆、らしいな~と思える場所に、らしいな~と思える立ち方をしているように感じた。

元気でなにより

でも、
その今立っているところ、を築いてきた10年

それぞれ、苦労も努力もあったのだろう、と思うと
なんだか、少し泣きたくなった(そんな雰囲気でもないけど)

そんな仲間は、

私が辞表提出したて、というのに

ちょっと驚き、面白がってくれたが、

ちゃんと話聞いてくれて
私の支離滅裂な点滅を、つないで一つの星座にするように、意味を持たせてくれて

適切な質問や意見を挟みながら
私が私を理解することを助けてくれる

 

大好きな人はいっぱいいるが、

 

場合によっては、どう説明したら間違ったとらえ方をされずにすむか

ということに悩むことがある。

こんな風に話せる仲間は貴重で、出会えてよかったと本当に思う。

 

そして

 

つくづくと感じる


自分の立つところは
自分で確保しなきゃ



無数のあれこれを踏み潰しながら
『そこ』に立たなきゃ


むやみにあちこち踏み荒らすのは醜い

でも

誰かの背中に負われて生きていながら、
負っている者が踏み潰しているあれこれを非難するのも醜い


自分の足で立つこと


人任せにしないで
世間任せにしないで