人生の転機(8)41歳子連れ大学院生 その1 | コンフォートゾーンをつきぬけろ!日本からワクワク未知の世界へ飛び出そう!

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みなさまこんにちは。

 

人生の転機シリーズ、バンコク滞在編です。

 

娘はインター校の1年生、私は大学院に

無事入学。

 

大学院(英語コース)では50名ぐらいいた

クラスメートの中で、かろうじて最年長では

なく、上から3番目でした(笑)。

 

一緒に学ぶクラスメートは私ともう一人以外

全員アジア地域の国々の人たち。

 

私の代は、元協力隊員の子がもう1人と、

中国、ラオス、ベトナムから1名ずつ、

インド、アフガニスタン2名ずつ、

ネパール、パキスタン4名ずつ、

バングラ5名、タイ5-6名、

残り半数以上がミャンマーからでした。

 

で、結婚している家族持ちが7割、残りが

独身だけど、私を除き、全員単身赴任。

 

<卒業式の様子>

 

クラスの8割は医者。残りは薬剤師、

看護師、ソーシャルワーカー、

歯科医師、などなど。

 

ちなみに公衆衛生学って、当時日本では

東大ぐらいしかなかったですが、今はちらほら

新設されて学会もできているようですね。

 

公衆衛生学、一体どんな学問かというと、

 

医学が患者や病気を対象にそれを治療

するのがメインの学問だとしたら、

 

公衆衛生学は、特定の病気や自然災害に

対して、その地域の人たちの健康を守る

ためにどうしたらいいか、を考える学問です。

 

例えば震災になったときやSARSなどの

感染症が流行した時、その地域の人たちに

予測される健康被害や心のケアなど、

 

何が必要か、どうしたらそれが確保できるか、

どうやって病気や被害の拡散を防止するか、

 

引き起こされる可能性のある別な病気に

ならないようにするために何ができるか、など

色々なツールを使って計画し、実行します。

 

 

実際マヒドン大学でも2004年のスマトラ沖

地震で、タイのプーケット島などが津波で

大打撃にあった時に、

 

公衆衛生学部の先生と学生たちが

どのように緊急派遣されて、どんなことを

したのか、講義で聴きました。

 

あとはマラリアやデング熱他、熱帯、

亜熱帯地域特有の病気の勉強もしました。

 

タイで勉強できて何が良かったか?

 

時には娘の学校が休みで大学院の講義が

ある時はやむを得ず娘を連れて行きました。

 

一番後ろの席で、娘はお絵かき、私は聴講。

 

でも先生方も大目にみてくれ、

クラスメート達も嫌な顔一つせず、私の娘を

かわいがってくれました。

ホント心優しい人たちなんです。

 

一方、彼らのうち特定の国々では、

建前上身分制度はないといっているけど、

やっぱり実質、身分制度があり、

 

カーストが違うからと、親が結婚を許さず、

好きな人と結婚できなかった、という子や、

 

親の決めた相手と見合い結婚するのが

当たり前、という人たちも多数いたのには

ちょっとびっくりしました。

 

基本的に彼らは、自国に戻ればエリート層、

裕福層の人たちが半数以上です。

 

が、国費留学生ではないので、ぶっちゃけ

先進国の大学院に留学して、国の政策を

作るような超エリート層ではありません。

 

あ、中国から来てた子は国費留学組かな。

彼女はめちゃ頭良かったですが、やっぱり

見合い結婚で、ダンナと会わなくて済むから

せいせいする、的なことを言っていました。

 

大学院の先生方もおおらかで、中には調査

の時に、屋台を切り盛りするお母さんが

子供に授乳できないので、その間、屋台で

バーミー(タイの麺)を代わりに作って

あげていた(笑)人情派の先生がいたり、

 

タイの先生方の調査研究成果を、自分が

行った調査にみせかける、某国際機関の

某先進国出身のとんでもコンサルタントが

信用できない話とか、

 

厚く国民に尊敬され続けている、前国王の

ロイヤルプロジェクトや、津波の時のことも

含め、色々とタイならではの話が聴けました。

 

また長くなってしまったので続きます。

 

今日も長々とお付き合いいただき

ありがとうございました。

 

ではまた明日!