もいさんの投稿の一部引用して
「共感」は優しい。
相手に寄り添い、孤独や不安を癒し、励まし合いや高め合うこともできる。
人が人と生きていく上で、とても大切な心の機能のひとつであると思う。
一方で、共感には限界があり、万能でもない。
共感しているつもりでも、本当は自分に都合の良い解釈に過ぎなかったり。
それなのに軽々しく「わかる〜」とか言われると、私の何がわかるのかと感じたり。
みんなが「良い」とか「正しい」とするものを押し付けたり、なんとなくそれに流されたり、そうした先にある同調圧力や支配、排除。
共感するあまり増幅する、憎悪や敵対心などの攻撃性。
共感できるものばかり拾い集めたエコーチェンバーの中で、極端に歪んでいく認知。
共感は繋がりだけでなく、繋がるからこそ自他を傷つけたり、分断を生み出すこともある。
人は本当の意味で他者に共感できるのか。あるいは共感が行き過ぎてしまったら。
より多くの共感を得ることが価値となり、共感を煽り貪る現代社会では、共感の有害性とも隣り合わせにいる。
ポジティブに捉えられることが多い「共感」であるけれど、その別の一面にも注目することで、自分と相手を尊重するために「共感しなくても大丈夫」と提案する展覧会です。