こんにちは、 古布リメイク・デザイナー あきやま幾代です。
東京タワーの麓で小学校2年から成人してからも
住まいを替えながら暮らしていました。
(株)鈴屋本社が青山のベルコモンズに移転する前までは
湯島天神前にあったので、狸穴に住んでいた頃は東京タワーを扇ぎ見ながら
神谷町から地下鉄で通勤していました。
昨夕、その神谷町から雪がちらつく中
半世紀ぶりに東京タワーを訪れました。
神谷町から坂を上る狸穴方面へ続く道路の角に
当時から真っ黒の”NOAビル”が立っています。
現代にしても、その存在感は周囲を威圧する佇まいです。
タワーの展望台150メートルからの眺望は
思ったほど高いとは感じません。
周囲に高層ビルが立ち並んだせいでしょう。
当時小学4年生くらい、タワーのお膝元の学校と言う事で
生徒が招待されました。
登りはエレベーターで、帰りは階段を下りた恐怖の思い出が蘇ります。
その飯倉小学校は下の写真の中央にあるブルーの
プールがあるところです。
右後方に六本木ヒルズが立っています。
(当時通っていた城南中学はヒルズの脇にありますが、
六本木中学なんて名称を変えてしまっています・・・)
午後5時以降の入場の為、もう霞んでいます・・・
晴れていれば、よりクリアな夜景が見えたことでしょう。
下の暗いところが、平清盛公ゆかりの増上寺です。
隣接する芝公園は子供の頃の遊び場でした・・・
ヒトデのように見える車のテールライトの先は三田通り、
その先には私が生まれた芝浦に繫がっています。
赤羽橋交差点 右にある済生会病院で盲腸の手術をして
麻酔の醒めるころ、ジョ-ジ・チャキリスがお見舞いに来てくれたと・・・
幻でした~、中学2年の事でした。
タワー下のビル内にある、東京タワーが立つまでの記録コーナー。
映画「3丁目の夕日」のジオラマと向かい合わせで当時の工事の様子を
思い出させてくれます・・・
このタワーが立って間もなく私は将来の職業を「服飾デザイナー」と決めました。
小学校6年生の時の憧れから高校卒業と共に
文化服装学院へ4年間の学習に通うことになりました。
狸穴坂を上り、ソ連大使館前を通り、神谷町(あるいは六本木)から地下鉄に乗り
湯島へ通勤。
その頃はファッション関係の仕事なのに、冴えないなぁ! と思いましたが
本社が青山に移転してからは、大層うきうきした気分でした・・・
そんなこんな、今に繫がる思い出が過った東京タワー巡りでした。
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