イタリア出張’78 | よくいうかいえ ( Cahier)

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古布リメイク作家のつれづれ日記

1978年にはイタリー各都市をディレクターの尚さんと
ピュイで物議をかもし出すニコルと3人で出張旅行をしました。

パリに赴任してから間もなくローマ・ミラノを訪問し
その後、セニョール・オーレが駐在しておられたフィレンツェを案内された後
ピサ・シエナまで足を伸ばした事がある。

この度の写真はイタリア3度目の出張でfフィレンツェ・ローマ・ポンペイの旅です。

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昨日のミラノは誤りでして、あれはフィレンツェのシニョリーア広場に面した市庁舎(ヴェッキオ宮殿)の正面入口脇に置かれているダビデ像です。(Bimbiさんからご指摘を受け、お、やはり間違いだった!)

左下は ローマ 映画でも有名なスペイン広場です。
(なので、この時はローマでなくフィレンツェの広場かもしれません、済みません、何せ遠い昔の事で)

この広場前にある手袋の専門店に入り、上等な品揃えで
素晴らしいなぁと感じても、見るだけでした。
(この話は本当ですが、ローマに旅した時は別の日でした。

その後、何十年経ってからでしょう、 頂戴したのです。
この店で求めたとてもしなやかな牛皮(鹿皮のが欲しかった・・・とは贅沢?)の手袋。
伊豆高原で10年近く我が教室に通って下さった生徒さんがイタリア旅行の際の
お土産として下さったのでして、まぁ、嬉しかった事!
今でも大切に使っています。
すんなりした長い指が収まるはずだったのでしょう、とても指が長く作られていて
私では指先が余ってしまうのですが・・・。
気持ちって、時間を経て通じる事があるんですねぇ。


「ナポリを見て死ね。」と言われたら気になります。
是非参りましょうと、出掛けタクシーで港を街を通りましたが、「うん? そう、そんなに綺麗?」という
印象のみで過ぎてしまいます。
見所を外したのかもしれません・・・

そしてその先の、ポンペイに気持ちが急ぎます。
ポンペイ遺跡の規模と当時の活況やベスビオ火山の噴火の経緯は
既にCG映像で何度か目にしていることでしょう。

しかし、現地で見た時は現在のような情報が無かった為
日本語で書かれたガイド・ブックで解説を読んだ程度の知識でして
その凄まじさがどれほどだったかと想像する事自体、簡単ではありませんでした。

近年テレビで見る度に、その現場に立っていた事を思い出しては
脚がすくむ恐怖に襲われます。

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さて、こちらは別の旅で訪れた ピサ・フィレンツェ・シエナです。

何故か、シエナの写真しか残っていません。
世界遺産のカンポ広場。
当時は特別な感想は抱かなかったのですが、
こうして度々、世界遺産として紹介される映像を見ると
う~ん、あそこにいたんだ・・・!と感慨深いものを味わう事が
しばしばあります。(当時は世界遺産認定が未だ存在していなかったのです。)

ここの思い出は、シエナ名物のパンフォンテ(ドライフルーツがタップリ入った)を
薦められるままに買って帰国してからどなたに差し上げたのかも思い出せない状態で
どんな味だったのか、思うにとてもCoCoRo残りな事です。
当時の味覚は幼稚でして、食べてもきっと喜ばなかったでしょう。
いまや、ドライフルーツ大好きとなっているので、必ず感激するのが分かっています。
そうだ! 来週の銀ブラで一つ目的が増えました。 買いに行こう!




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暫く前にこのお菓子の事を耳にして(伊豆高原の愉愉さんとの話題で)
にわかに興味が湧いたのでして
デパートへ行けば見つかる筈なので思いを遂げることにしましょう!
食いしん坊は30数年前の未完の思いをここに達成させるのです!

古い写真を引っ張り出して来た甲斐がありそうです。



これとは別にディレクターの尚サンとバチカン皇国にも行きましたが
生憎、大改修の年で外観を見るのみでスゴスゴと引き返した情けない

思い出が蘇ります。
写真が出てきたら、ご覧入れましょう。