左上: 現地採用のデザイナー(フランス語ではStylistと言います。)
オランダ人のADDとフランス人のNICOLE
ADDはエレガントで甘いデザインが得意でした。とても穏やかな性格でした。
さて、一方の NICOLEは・・・?
こんな逸話があります。 ピュイにあるニット工場へ彼女を伴って出張旅行をしました。
そこは全くの外部と隔絶し、コミュニティーを形成した数十人が暮らしていました。
生計はニット工場に従事した幾つかの家族が共同生活を営んでいます。
学校も自ら運営し子供達の教育をしています。
皆非常に質素に暮らしているようでした。
私達に振舞われたおやつはカフェとサブレー菓子ですが、皆はバゲット一切れとお水だけでした!
彼らの視線の中で自分達だけおやつを頂くのはとても気が引けたものです。
そう、2泊3日くらいの滞在でしたか・・・
毎朝夕 ムッシュ・アルベールというそのコミュニティーの長が私達をホテルに送迎してくれました。
工場へ行く途中にある肉屋さんに立ち寄り、二人分の昼食の予約を入れ、時間になると
その肉屋さんまで私達を送迎してくれたのです。
そんな誠にローカルな土地での精一杯のもてなしなのに、このNICOLE 文句の多い事!
とうとう、ムッシュ・アルベールは切れてしまい、パリの鈴屋のボスにこんな電話を掛けたのです。
「私は精一杯の努力をしている。 彼女にこんな高圧的な言い方をされるいわれは無い!
金輪際、NICOLEに我が家の敷居をまたがせたくない!」と激怒・・・
さぁ、大変! ボスが電話を私に替わらせ、指示された事は
「直ぐにニコルをホテルへ帰らせて、後はマダム(当時私はそう呼ばれていました。)がよしなに
お願い、ムッシュは貴女を大層気に入っているそうだから・・・。」
何とかその場を納めて、仕事をこなしてホテルへ戻れば、ニコルのお冠のさまったら・・・凄かった!
そんな訳で、彼女は即刻首。 現地では極当然のことでした。
![よくいうかいえ(Cahier)](https://stat.ameba.jp/user_images/20110906/17/kinuawase62/dd/06/j/o0566080011466246050.jpg?caw=800)
中央右: ADDと営業のMary Jose (当時鈴屋は欧米へ盛んに卸しをしていました。)
二人共背が高い!
(最後のオフィスとなった、ビルの入り口のステップに乗っても私はまだ背が低い・・・)
中央左: シャンゼリーゼ店の店長とAny という一番最初の売り子さん。
ブティック近くにある、日本の有名な鉄板焼きレストランでの親睦会。
左下: KIM TAK というキムタクみたいな名前の中国人デザイナー夫妻と
親しく交流し、お家に招かれた時。
大変裕福な家庭のお坊ちゃんでしたが、今はどうしているでしょう?
そうだ、フェイス・ブックで探してみましょう。
右下: この日もやたら暑く、友達に招かれた夕食会。
Serge と友達の奥さん(名前が出て来ません。)はT-シャツを脱いでしまいました!
日本人女性ミチコさん(エマニュエル・カーン見たいな白メガネ)とは、
よく一緒に出掛け、Michel Klainのパーティで彼に紹介して貰いました。
(不思議な縁で、現在もMichel Klain の商品との出会いが多いのです。)
総じて、我々重い使命を負って来ている日本人スタッフ以外の現地スタッフは
当然のように、自己主張の塊でぶつかってくるので毎日が闘いです。
テーブルを叩いてカンカンガクガク 言葉と体を使って主張します。
小さなひとつの事を決めたり徹底させるにのにどれだけの時間と疲労を重ねて来た事でしょう!
散々、言葉の応酬を繰り返した後のランチの時は、皆コロッと態度を替え
笑顔で腕を組んで近くのカフェへと繰り出します。
闘った後は、全く遺恨を残しません、それは見事です!
そして、ランチの後のラディション(清算)の時は、再び険悪な空気も流れたり・・・
素早い計算(暗算)の苦手な彼らは合計金額を見て、大体自分が注文した料金を
それぞれ出して、まぁチップ分も置いていけるのですが
たまに計算が面倒で「割り勘にしよう!」という輩がいると大変。
「私はビールもワインも飲んでいないから不公平だ!」と主張し(それはそうですよ。)
不穏なムードが広がり・・・しかし、お会計が終わればまた再び「美味しかったね!(^∇^)」となるのです。
ヨカッタ、ヨカッタ!
これはパリで暮らし仕事をしていた間のほんの一握りの話です。
文化の違いのうちのこれは極一部であり、”異文化交流”は肥大化して行きました。
あきやま幾代・古布リメイク 衣袷ーきぬあわせー Web Site