執着しないほうがスムーズにいく
ってよく言われるけれど、これ本当にそうだなと思う体験は
今まで何度も何度も何度もしてきている。
でも、難しいのは
大切なことや心から想うことはどうしたって執着してしまうんだよなぁ・・・。
寝ても覚めてもそのことから離れられないなんて
対象にとっても重かろうよ。
重いと逃げるから。
想いは重くてはいけませんな。
*
誰かのせいじゃない。
被害者でもない(加害者でもないが)。
自分のせいでもない。
障害だと思っているものが目の前から消えれば
問題は解決するかというと、そんなことはない。
なぜなら
障害は自分が越えようと思って作り上げたものだから。
いわばわたしの魂においてはギフトといえるものかもしれない。
逃げてもいい。
逃げて解決することだってあるからね。
でも今、わたしに起こっていることは多分、違うから。
なにかを学びたい、なにかを得たい、変わりたい、と希求している、ような気がするからなぁ。
誰のせいでもない。
自分のせいでもない。
そうしたくてしているだけなんだ。
設定を変更すればいいのか、な。
被害者にはならない。
加害者にだってならない。
自らそういうこと、もうしたくない。
*
にしたって重いよなぁ。
軽くなりたいなぁ。
って言いながら重くなっている・・・・。
*
年齢なんてほとんど気にしたことがなかったのに
ここ数か月は
やたら自分の年齢による衰えや醜さにがっかりすることばかり。
元々、自分の容姿の醜さに鏡を見ることもできなかったくらいなのに
これに年齢の衰えが入るから困ったもんだ。
その美しさを自覚している若い娘が、自撮りでアピールしているものを見ると
はぁ、まあ、こんなのを四六時中真近で見ていたら
そりゃ私なんぞはさぞ醜い妖怪ばあさんに見えることだろうなぁ、と
がっくりして逃げたくもなるが、
それでヨヨヨと泣きながら「私なんて衰えた醜い女よね・・・」とか言えば
「そんなことないよ」「あなたにはあなたの美しさがあるよ」「年齢じゃないよ中身だよ」
とかって他人に言ってもらえるわけだけれど、
もうそういう遊びも心底うんざりで
私には私の美しさとか、もうどうでもよくて
じゃあ何かというと
私にとっての「美」意識ってなんだ?という軸みたいなもんが構築されてれば
それだけでいいじゃんって思うのですよ。
それは、果てしなく広くて細かいひだのように波打っていて変化もしていって。
見た目だ心だって、そういうことじゃあ、ない。
もしかしたら結果でもないかもしれない。
誰かの目線なんてひとつも必要ない。
そんなもんはどうだっていいことなのですよ。
*
喧嘩をやめて~ふたりをとめて~わたしのために~争わないで~
って歌、あったけど、
そうなったときにあなたがあれこれ画策することこそやめたほうがいいよ、って
最近、本当に心からそう思う。
そういうことをすればするほど、現実はねじれていく。
誰かを傷つけないためにしたことが結果的に誰かを傷つけることになる。
プリミさんの「気を使ったら即死」ってそういうことだ。
他人も自分も殺してしまう。
「気を使わずに愛を使う」って、難しい。
そもそも愛を使う=自分を大切にするというのが難しい。
できてると思ってても実は実はそれは違っていた、ということもある。
というか、そっちの方が多いと思う。
ちゃんとできている人ってあまりいないのではないか?
だからこそ意識していきたいものだ。
物事がうまくいってないときって多分、
愛を使ってなくて、気を使っているときだ。
今、私は他人に気を使ってしまっているのか?
私自身を大事にした愛から発しているものか?
というのを常に問い続けていこうと思う。
自分を大切にすることが他人を大切にして世界を大切にすることなんだ。
あなたのために、きみのために
なんてごみ箱に即捨てよう。
全部自分のためにしてるんだっっ!