片腕の夢は日常 -29ページ目

片腕の夢は日常

ひそやかに、高らかに、ゆるゆるに、くるくるに、
fromここtoうちゅう

あー!ひゃだひゃだ!

なんでわたし「耐える女」になってんの?
わたしがいない方が、とか、わたしは邪魔者だから、とか
ひゃだひゃだ!昭和のジメッた演歌の女じゃん!
地べたをのそのそ重く進むナメクジみたい!
まだ悲劇のヒロインやりたいのか?

同じ行動するにしたって
誰かと誰かのためにするんじゃない
わたしはわたしの意志で
見ていて気持ちが暗くなることや
感じたくないエネルギー
からは離れて軽やかになりたいんだ!
でことでいいじゃない

まだ昭和と平成をウロウロしてるなんて
ナンセンス
2020年令和2年、軽やかな時代の波に乗らなきゃね

負けてられないのよ!あんたたちには!(←アスカ)
わたしはわたしで好きなことをすればいい
やりたいことはたくさんあるわ
街を散策しよう
気になるカフェへ入ろう
そこでゆっくり本を読んだり詞や詩をかこう
映画を観よう
お友達と笑おう

「きんいろ」を自分に戻すのよ
だって
わたしが羽ばたく人だということを
知ってくれてる人がいるんだもの
自分が知らないフリしてどうするんのさ!

https://note.com/kataude/n/n1bccb5efb3a7

 

誰かを傲慢に強引にねじ伏せている姿を見せてくれた人
ありがとう
それはわたしの一部です

自分が一番正しいと思ってなんかいない、と言いながら心の奥で
でもやっぱり正しいよな、って姿を見せてくれた人
ありがとう
それはわたしの部分です

自己肯定の低さを隠したくて噛みつく弱い姿を見せてくれた人
ありがとう
自分を正当化するために冷静な仮面をつけて攻撃している姿を見せてくれた人
ありがとう

絶対に嘘はついていない、と嘘をついた人
ありがとう
なにに対しても悲観的にとらえる人
ありがとう
誰に対しても文句を言う人 小さなことですぐに怒る人 怖がって動かないひと
口ばっかりで行動しない人 被害者ぶって泣いてばっかりいる人 劣等感の塊でひねくれて拗ねていじけて批判ばかりする人

ありがとう ありがとう ありがとう

この世は鏡です
あなたはわたしです
キミもわたしです

わたしが「こんなのはわたしじゃない」と思っていたものを
見せてくれてありがとう
目に事象や人はすべからくわたしが持っているもの
持ってないものが目の前に現れるわけがない

あなたたちが教えてくれる
「これもわたしだ」ということを

世界は鏡です

そして
まばゆいほどに美しい花や
愛としかいえない人たちが
目の前に現れたら
それもわたしであるということを 決して忘れない

 

TwitterのTLで流れてきたので読んでみたけれど
ほっっんとーにそうだよな・・・・と思ってしまったので
何度も読み返す意味でもこちらでご紹介します。

 

「オレンジジュースを飲みたいのか?飲むべきなのか?」
休職したときの話。

https://note.com/coyokojp/n/nc305335a5b17

 

 

こちらの記事を書かれたのはまつしまようこさんという方ですが、
この内容は
昨年末に服部みれいさんのお話会と同じことをおっしゃっているなぁと思いました。
あの時、みれいさんは何度も何度も、もう、これに尽きる、という感じで
「自分と会話することを、細かく細かく毎瞬毎瞬やる」
ことをおっしゃっていたんですよね。
本心....自分にウソをつかない・我慢しない・小さな違和感を見逃さない・自分から立ちあらわれる感情を無視しない・・・などなどを
常に意識していこう、と。
これは日々訓練するしかないよね、と。
 

こちらの記事もそういうことを書かれているような気がします。
 

 

まつしまさんのお話の中で「これだよなぁ・・・」とうなったのは

「私はいま、オレンジジュースが本当に、“飲みたい”、のか・・・?
それとも、さっきグレープフルーツジュースを飲んだから、
(違うものにしたほうがいいという意味で)オレンジジュースを、“飲むべき”、と思っているのか?」

 

というところ。

 

いや、だって、
「さっきグレープフルーツを飲んだから今度はオレンジジュースにしよう」っていうの、普通にやるじゃん(笑)
それ普通に自分の本心だと思ってしまうじゃない?
でも、これって実は「思考」なんだねぇ・・・・。
それが悪い、ダメってことではない。
思考、大事です。
(多分、思考で選択した「本心」だと思ったものって
けっこう、いわゆる、例のあの界隈の人たちのように、
他人を蔑ろにするような、そういう感じのものになってしまう気がする。。。。)

でも今、自分がとりくもうとしているのは身体感覚皮膚感覚魂感覚というような感じのところ。
ものすごく麻痺してしまった、

「自分のこころと身体が求めて欲しているものを、ちゃんと自分がキャッチして、ちゃんと自分で手にして、自分の中に取り込んであげる」

 

ということだ。
みれいさんがおっしゃるところの「もよおしたら我慢しないですぐトイレへ!」ってこと。

できないこともある。
というか、けっこう無意識に思考を使ってしまうと思う。
できなくても、結果、失敗しても自分を責めない。
そんなことどこ吹く風でサラっと引き続き取り組んでいく。
1番したいことがどうしてもできないときは、2番目でも3番目でもいいさ。
いつだって私のからだと細胞とこころに問いかけましょうそうしましょう。

人によっては「は?それがなに?」って話かもしれないけれど、
わたしには今とにかくこういうことが大事だと思うからね。


「自分を大切にする、とか
自分をいたわる、とか
なんとなく贅沢なスウィーツとか旅行とかで満たそうとしてた時期もあったけれど(それもそれで大事だけど)、

もっと身近で、日常のなかにたくさん転がっているような“ちいさな充足”をちゃんと積み重ねていきたい、と思っている。

自分のほんとうの声は、自分にしかわからないものだから。

その声をないがしろにしていると、ほんとうに自分でもわからなくなってしまうことがあることを、私は知ったから」


まつしまさんのこの記事、本当にうなづくばかりの内容でした。
読むことができてよかったです。

 

 

真鶴記その1⇒★★★

思い知らされ、気づかされ、それでもまだちっとも消化できないまま
真鶴を後にした。
お姉ちゃんの最後の場所はやはりよくわからなかった。
お姉ちゃんは「探さないで」とも「ここだよ」とも言わず
私たちの好きにしたらいいよ、と思っているような気がする。
お姉ちゃんにとってもうその瞬間は昇華されているのかもしれない。
だからこそ生まれ変わる前の天国界での最後の仕事である
私のこと、その先にある母のことをどうにかしようと奮闘してくれているのだと思う。

姉の最大の心配事である母のためにもまずはわたしを幸せにしたい姉だけれど、
そのわたしがいつまで経っても変われないので業を煮やして過酷な状況を見せてくれたのかもしれない。
といっても実は大して過酷でもなんでもないのだ、多分。

そんな感じで私はまだ
未消化だから悲しくてやりきれない時間を過ごした。

意識がどこかへいっている優しい人が哀しかった。
暗闇の中に小さな光を感じると、それをより感じたので
背中を向けた。
ごめんね、と心の中で何度もつぶやいた。
ふたつに裂けた心が哀しかった。

自分の頭がパックリと口を開けているのはわかっていた。
お姉ちゃんは
「口を閉じなさい」
と言ったんだよね・・・・。

でも欲しくて欲しくてたまらない。
独占したくてたまらない。
でも、でも、でも。

旅館の部屋の窓から海が見える。
夜には東京では見られない星を眺めて
朝にはまばゆい太陽の光を感じて
でも、でも、でも、と何度も自問自答を繰り返した。
そのうちに、ある歌が私の心の中をめぐるようになった。

あなたがいるってことだけで。

でも、の代わりに何度も何度も「あなたがいるってことだけで」と繰り返した。

帰宅したその日の夜中に、急に体調を崩して発熱した。
夢の中にいるように
動こうとすると四肢が思うように動かず
地面が磁石になって身体がのっそりと吸い寄せられるようで
頭の中も靄がかかっていて重い。
ここはどこなんだろう。
今までのことは全て夢だったのかもしれない。
夢からさめたら1年前の、いや、もっと前の、何も知らない私がいるのかもしれない。

1日中、馴染んだような知らないような部屋で寝転がりながら
ドラマを見ていた。
時々、泣いた。
物語は時に、自分の気持ちを代弁してくれた後に
「それでもいいんだよ」と言ってくれるから、泣けて困る。
どれだけ他人に丸ごと肯定してもらいだいんだろう、わたしって・・・・。
自分ですればいいのに。

夜になって目を開けると愛が待っていた。
夢かと思ったけれど夢じゃなかった。
桃色のドリンクと眠りの世界でひとりじゃなかったこと。

あなたがいるってことだけで。

お姉ちゃん、わたしはまだわからないことだらけだよ。
頭の口もまだ開きっぱなしだよ。
本当にこれでいいのかいつも迷ってる。
人を騙して、傷つけて、そんなわたしが幸せになるには
痛みを感じなきゃいけないんだよね。
それでも忘れちゃいけなくて、必要で、取り組んでみたほうがいいことって、あるよね。
この道を歩くって決めたんだから。

なんて空を見上げながら語りかけると
まるで少女漫画が映画化されて、その1場面の中にいるみたいな
気持ちになって
胸がつまってくるんだけれど、それはちゃんちゃらおかしいことだ。
だって、本当はメロドラマはとっく終わっているんだから。
悲劇のヒロインはもういなくなって
ここにいるのは軽やかな喜劇で嬉劇のヒロインのはずだ。

こんなこと、なんてことない。
3流ドラマにもならないような、物語性などない、たわいないことだ。
深刻にならない。
目線を変えたらどうってことないこと。
エネルギーをクルっと変えてみたらいいんだよ。
そんな簡単にできるかよ!
簡単にできないって決めているのはわたし・・・・か。

ただ夏の約束を胸に
「あなたがいるってことだけで」を口ずさむだけでいい。
単にそれだけのハナシ。

真鶴はそんなことを教えてくれた。
わかってんのかなぁ、わたし。

お姉ちゃん、わたし、絶対にもっと幸せになるから。
そしたら私が死ぬ前に生まれ変わって、
また出逢いたい。

 

1/3、姉の最後の地である舞鶴へと向かう。
今日が姉の命日だということをすっかり忘れていた。
命日といっても遺体が発見された日が1/3だというだけで正式な日にちではない。

ここ数ヶ月、不思議な夢を見ることが多くなった。
大抵、悲しくなるような映像を見せられたり意味がわからない言葉だったりが
短い時間に夢として出てくるが
恐らく、いや、絶対にこれは姉が見せているものだと確信があった。
そして当日の朝は昨日と同じ、
やはり悲しくなるような内容の夢を見たのだった。

夢を引きずることはなく、
それはもう、ある種あきらめみたいになっているので平常心で真鶴へ向かう。
あきらめるっていいのか悪いのか。
「いい」と思っていないとやってられない。

しかし、真鶴へ近づくにつれて
今まで夢としてしか出てこなかった映像や言葉が頭の中を駆け巡るようになった。
なんだろう、これは。
お姉ちゃん、私に何をさせたいの?
こんな映像は何度も見たくないし、そんな言葉は何度も聞きたくない。
知らなければ知らないでよかったんだよ・・・・。
でも、「まだわかってないでしょう」「わかれ!」とばかりに私を覆い尽くす。

そしてたどり着く。
鬱蒼と茂った木々の中に足を踏み入れる。

ザクザクと枯葉を踏みながら海の見える場所を目指しつつ
姉の最後の地点を探る。
枯葉を踏みしめる音が好きだ。
その音に丁寧に耳をかたむけながら歩いているうちに無心になる。
次の瞬間、一気に映像と言葉と情報が渦巻いて嵐となって脳の中を占領した。

お姉ちゃん、お姉ちゃん
ひどい。
どうしたらいいの?
だとしたら私が選択できることはひとつかふたつしかないじゃない。
そして私が選ぶ選択を、お姉ちゃんはわかってる。
それは意地悪だよ。
でも、本当はそれが一番わたしにとっていいんだってことをわたしも知ってる。

わたしは自分が盗人であり
今、何かを望める立場ではないことを自覚しなければいけない。
泣いたり苦しんだり寂しがったりすることすら、おこがましいことなんだ。

罪悪感は持たない。
過度な謝罪もしない。
起こったことは片方だけの問題ではないのだし、
運命の流れというものや、糸や意図もありそういったものが複雑に絡み合ってこういうことが起こったのだから。
でも、それと自分が何をしたのかということや、自分の立場を見ないのは違う。
同じ結果が待っていようと、どういう過程を経るのかは自ら選択できるはずだ。

今は
ただ目の前に差し出された愛を享受して感謝することと、
夏への約束を信じることしかできないのだ。

木立の隙間から海が見える。
キラキラ光る海面が「大丈夫だよ」と言っているようで涙があふれそうになるけれど
もうずいぶん前に、わたしは泣かないと決めたのだから泣きはしない。

お姉ちゃんは「幸せになって」と言ってくれていた。
わたしは幸せにならないといけない。
その幸せへの道はお姉ちゃんや愛する人やたくさんの人たちが敷いてくれたものだけれど、
わたし自身がその道を選んで歩かなければそうなれない。
以前の私のように、震えて怖がって結局切り離し壊してしまうようなことは決してしない。


つづく