片腕の夢は日常 -26ページ目

片腕の夢は日常

ひそやかに、高らかに、ゆるゆるに、くるくるに、
fromここtoうちゅう

先日、ありがたいご縁のおかげで
何十年かぶりに

 

有頂天

 

のライブに行くことができました。
高校時代に有頂天のファンになり、そこからナゴムギャルへまっしぐら。
ケラさんを大尊敬していたので彼の好きなものは全て追っかけました。
わたしを形成した文化資産の多くにケラが教えてくれたものがあります。
ケラさんが今でも書かれている犬をわたしも書けるくらいです(それは違う)
小学生のときにブリキの自発団のお三方が出られたミュージカルを観てから
舞台に憧れていたのだけれど、
本格的にお芝居にのめり込んだのも
ケラさんの健康を見始めたおかげです。

 

なのでもしかしたらどちらかというとケラさんのことは

ケラリーノ・サンドロヴィッチとしての方が馴染みがあるかもしれないです。
とはいえ、有頂天だけでなくナゴムの各バンドは当時、相当聴いたしライブにも通いまくりましたし、
有頂天はわたしのアイドルでした。

とはいえとはいえ、しっかり聴いていたのは4枚目のAISSLEあたりまでなので
年月としては短いものでした(メンバーでいうとkeyがミューさんだった辺りかな)
ハマりの濃さは相当だったけどね。

 

ということで、近年のアルバムは全く聴いておらず、
まっさらな状態でライブに臨みました。

 

本当に認識が甘かったというか、大変失礼ではありますが
往年のファンが懐かしの曲を含めて楽しむほのぼのしたライブなのかしらん、と
思ったのが大間違いでした・・・・。

 

今の有頂天を愛する老若男女が集まった熱い熱いライブでした!

 

いやぁ、ケラさんのことをあれだけ尊敬していた自分なのに
なーにが「懐かしの曲を楽しむほのぼのしたライブ」だよ!と呆れました。
そうでしたそうでした、ケラさんはいつだってアグレッシヴで前しか見てない方だったんでした。
だってお芝居もそうですもん。
多作だしいくつものユニットを作って、その全てが毛色やテイストが違う。
いい意味で飽き性というか、いつも自分を含む「ありきたり」をぶっ壊してやるみたいな精神がある。

そんなケラさんが昔の曲を懐かしむ的なことなどされるわけもなく。

 

ほとんどの曲がわたしにはわからなかったけれど

まあ楽しい楽しい楽しい!!!!

いい曲たくさんいい歌詞たくさん。
かつてわたしが死ぬほど聴いていた曲たちのテイストはしっかり残っていて
でも、

楽器隊の技術が格段に進歩したことやメンバーそれぞれが年齢を重ねて培ってきた経験と精神性が
いわゆる「円熟」という味わいを醸していて
青さとその円熟味がすごくいいバランスとなっていて

これが「今の有頂天」なのかぁ、とほれぼれいたしました。

 

進化って、決して昔のものを捨てることじゃない。
音的にとか表現方法は、例えば「80年代のかおりがする」かもしれなくても

軸として支えているものが「今」であることを十分感じさせてくれるのも
進化なんだなぁと、このライブは教えてくれました。

それは表現者がいつも前進しているから。

かつての自分たちを懐かしんだりなんか決してしていない。
もちろん年を重ねれば衰える部分もあるけれど
それをちゃんと受け止めつつも

今が一番若い、今が一番刺激的である、明日はもっといい!という圧倒的自信が
現在進行形の表現を生み出しているのですよね。

 

知らない曲が多い中、

心の旅やフューチュラ、べにくじら、千の病をもつ男などなど
かつて歌いまくった大好きな曲たちも聴けて
それはさすがに血わき肉おどりましたし(笑)

ケラさんのMCも「ああ、ケラさんの物言いってこういう感じだよなぁ」と思い出し嬉しくなったり
メンバーの仲の良さがすっごく感じられたりと

刺激的で幸福な時間を過ごすことができました。

 

良いなぁ、と思う曲がいくつかあったし、
近年の有頂天もちゃんと聴いてまたライブにうかがいたいなぁと思った次第です!

 

ライブに足を運ぶキッカケを作ってくださった方々に

心から感謝いたします!!

 


 

多分、この曲セットリストにあったような。
好きだなぁ・・・・。

 

あっという間に2月突入!
多楚可”れカンターレ公式応援ブログでございます。
更新はわたくしこと応援団長です。


鬼は外~~!福は内~~!!(突然)
節分でございますが、
しかしたそかんは当たり前な豆まきはいたしませんことよ。
鬼も福もどんとこい!
なんでも引き受けて飲み込んで面白くしちゃうのがたそかんでい!!!

と、応援団長は思っているのですが
メンバーの皆さんはどう思われているのかはわからず(違うかも。すいません)。

 

さて、ご存じのとおり今月22日に
たそかん、大阪凱旋公演がございますが
たそかニャー(たそかんファンの総称・仮)の皆さんはもう
ご予約は済みましたか?
迷っている方はおりませんか?
たそかんの皆さん、本当にお忙しいのでそうそう頻繁にライブはされないです。
この貴重な機会を逃すのは、1等前後賞の宝くじが当選したのに番号確認をしないで見逃すくらいもったいないことですよ!
だって近い将来彼らはホールでの公演が当たり前になる予定ですからね。
そうなってから「あの時行ってれば、間近で観られたのに・・・・チクショー!
とならないようにお気をつけあそばせ、なのです。

 

ささ、ライブ詳細をご覧になって。
ご家族お友達をお誘いの上、一緒に「チクショー!」ってやりませう!
チクショーチクショー書いていたらゲシュタルト崩壊ってきた応援団長です。

ライブ詳細はこちらへどぞ!

 

そして、メンバーみなさんはライブのために
一生懸命リハをされております。
写真を入手しましたのでここでチラリをご紹介いたします。

ある日のリハ。
1号が弾き、2号が歌い、3号が写真を撮る。

 

ある日のリハ。
1号が弾き・・・・あれ、1号さんヘアスタイルが違うと別人みたいすね(余計なお世話)、
2号(ベレー帽がお似合い)がつま弾き、3号が歌い、4号が撮る・・・・
と・・・・る・・・・
どこにいるの4号や~~~い!

 

鏡の中の4号!いらっしゃいました!!!!
そして!なんと!
たそかんファミリーである創作ユニット・ちょうちんぱんちら~ズ(すません、あてくしのユニットなんで宣伝でリンク貼らせていただきやす。お見知りおきを!)のイラスト描きみゆきぃぬちゃんがデザインした
たそかんTシャツをお召しになっているではないですか!
わたくしも持っています!

 

以前もメンバー全員着用されていたたそかんTシャツ!
なんてかわいいのでしょか!!

 

こんな感じで一致団結しながら着々とライブへ向けて準備をされている
多楚可”れカンターレさんたちでございました!
一筋縄ではいかないライブになりそうですな!
早く来い来い22日!

 

 

 

世界は自分の内面の投影です。

昨日、長らくの悶々の末、少し晴れやかな気持ちになったので
ガンジーの言葉を使ってイラストを描いた。
わたしが見たいと願う変化にわたし自身がなる。
これを少し実感したから。
自分を愛そうと決めたら、愛を素直に受け取れたから。
あ、ホントにそうなんだって思えたから。
と思ったせつな、
その日の夜に、
まんまとわたしの心を揺らがせることが起こった(苦笑)

がっくりするよ。
わたし、やっぱり悲劇のヒロインになりたがってるんじゃん。
知ってるけれど、わかりすぎてそのまんますぎて笑っちゃう。
本当に笑っちゃった。
そのまんまの現実、きました。
あーあ、あたしかわいそうって思っちゃうような事実。
やっぱり1番になれないんだ、みたいに思えちゃうような事。

まったくなぁ・・・・

でも、自分になるのはしんどい作業だ。
そんな簡単じゃない、ってわかったから焦りません。
こんなことではもうへこたれない。
昨日、鍼でお世話になっているあず姐とも話してた。
玉ねぎを剥くみたいにやっていくしかないよねって。

一旦、落ち込むけれど、
合言葉「銭湯、開始」と「YES!」
これをつぶやいて、はい、復活。
悲劇のヒロインじゃなくて嬉劇のヒロインになるって決めた。
大きな変化。
この現実を作ってくれた人に感謝。
わたしは信じるぞ。
自分が変わることを、自分を愛しまくれるわたしになるってことを、
愛する人と幸せしかない生活をするってことを。

今いちばん大事なのは
ちゃんと相手に気持ちを伝える。
でも
わたしが自分の機嫌をとってあげる、ということ。
信じること。

 

昨夜は友人と会い、その後ひとりでお風呂屋さんへ行った。
最近、お風呂屋へ行くことが多いが
残念ながら自宅最寄り駅にはないので、一駅電車に乗って行ったりしている。
昨日はG駅のお風呂屋さん。
急に行くことにしたのでタオルはレンタル。
ごく普通の銭湯だけれど露天風呂があるところがポイント。
といっても、スーパー銭湯のような広々としたお庭にあるようなものではなく
狭いベランダに浴槽がある、みたいな感じ。
それでもわたしはのぼせ性なので露天がありがたい。

しかし昨日は雨。
しかも屋根なし。
気合で濡れながら湯舟につかる。
人は誰も来ない・・・・(当たり前)
貸し切りだーばんじゃーい!(←無理スンナ)
普通の人にはぬるいであろう湯加減がわたしにはちょうどいい。
ちょうどいいけど雨粒が容赦なくわたしめがけて落ちてくる(めがけてない)

宙ぶらりんになっているときに
心がドキドキしているときに
よりによって
一点の染みを見つけてしまい
その染みが全てを覆い、漆黒のようになっているわたしだったので
動く気になれず、じっとつかる。
ふやけるまでつかる。
ふやけて溶けちまえばいいのに。

くだらない、もうわかってる、いいかげんに平気になんなよ、
いや、冷静に考えたら普通はしんどいじゃろ、
その上、今の状況は重いじゃろ、
っていうようなことで、もうあかんってなった。

弱い自分にむかつく。
選んだのは自分やんけ、われ!!!!!
責任もてや!!!!
むかつくから濡れたまま風呂につかる。
強くなるための滝行のように濡れたまま風呂につかるのじゃ(違)

今、お風呂で溺れたら
わたしには浮き輪が投げられて、
本体はあちらに行ってしまうのかな??と思ったりする。
あかんで、今の状況でそれを考えたらあかんで、われ。
でも
いつもいつも悶々とするのはそういうことだ。

ああ、末期症状なり末期症状なり・・・・。

雨の露天で長時間という謎の入浴をしていた女が
風呂から上がりましたよ。
G駅付近を歩いたことがなかったのでちょっとだけぶらぶらするが
胃が痛くなってきたので
やばし、と急いで帰宅。

もう負けそう。
もう無理そう。
「ここが正念場」「ここで踏ん張らないと負けるよ」と言われて
くっそ~!と思っていたけれど
もう負ける。
悔しいけれど、負けそう。
ぼんやりとどこかの誰かが勝ち誇った顔が目に浮かぶ。
負けたくない。
でも負けそう。

ひとりで生きるんだ、わたし。
この年齢から、ひとりって大丈夫かな。
今まで実は守られてきたんだな。
今度はもう誰も守ってくれないのか。
なんでこうなったんだろ。

うわぁ・・・・止まらない・・・・。

帰宅して水を飲み干し、
すぐに布団に入って天井を見上げる。
胃がキリキリ痛い。
もうくじけそう。
いや、強くなれ。
無理、くじける。
強くなれ。
キリキリ。

あかん・・・・kaiママ助けて・・・。
ハッチママ、助けて。
あかん、ハッチママは自分やった。
というか、誰かハッチママになってハッチパパでもいいけど・・・・(ハッチパパっていたっけ?)
苦しいって言ったら即座に助けに来て。
助けに来てくれてもすぐに別の人を助けに行っちゃわないで
わたしのそばにだけずーっとずーっといて。
じゃないと
か弱いハートが折れちゃいそう・・・・(本当は強化ガラス製)
kaiママ、わたし、沈没しかけのモンキーグァ~~ルどころかもう沈没してるよう・・・・。

無・・・。
しかし胃痛・・・。

胃薬を飲もうと布団から出るが
引っ越しの片づけがいまだ完全にできておらず
薬がどこにあるのかもわからないので
とりあえずお湯を沸かしてお茶をすする。
はぁ・・・・。
そもそも胃薬なんて昔から持ってないやんけ、われ。
そうでした。

その後、急に部屋にあるものを
壁や床に投げつけて投げつけて投げつけて
思いっきり踏んで踏んで踏みまくること20分
(隣と階下には配慮しました)

むっかつく!
やだやだやだやだ!(自分が)
こんな情緒不安定になときになんでだよ!!!!

あー。
一番になりたかったなぁ(←突然)
お母さんはお姉ちゃんのものだったし
お父さんはわたしなんかいないも同然だったし

子供の頃からずーっと誰かの一番になりたかったんだよなぁ。
って、まだそんなこと言ってんのかよ!!情けないったらありゃしない!!
いい加減に子供時代のなんちゃらなんてやめろ!
というか、本当はもう大丈夫なくせに!!!!
ノスタルジックな悲劇のヒロインしてんじゃないわよ!
うざったらしいなぁ!!!

・・・・・・でも、結局やっぱりまだまだなれないんだよなぁ。
・・・・・・また、なれないのかなぁ。

布団の上でお茶をすすりながら(だって布団敷いたらいる場所ないくらい狭いんだもん)(狭いの大好きだけど)
目の前にあるジョゼフコーネル展の図録をめくりめくり
あーそうだ、コラージュやってみようと思ってたんだった、と考えながら
さっきの露天風呂というかなんというかなお風呂につかりながら浴びた
雨のように涙がポツポツと落ちてくる。
こんな涙は涎みたいなもんだけど。

あのさぁ、わたしよ、
本当に誰かの一番になりたいなら
本当は自分自身が自分の一番になってあげなきゃいけないんだよ。

他の人のことなんか見向きもしないでわたしだけを大切にしてほしいと思うなら
まずわたしがわたし自身を大切にしなきゃいけないんだよ。

おいしいものはわたしだけに食べさせてほしいと思うなら
わたしがわたしに一番おいしいものを食べさせてあげなよ。

わたしだけに優しくしてほしいなら
わたしがまずわたしのことを思いっきり優しくしてあげなきゃいけないのだよ。

わたしだけを愛してっていうなら
わたしがわたしの全てを愛することが先なのよ。
わたしのもってる我儘も闇も悪も浅はかも自己中も
全てを赦して愛さなきゃいけないの。

すべて「わたしから発信」してるって
もうわかってるのに。
この困難で苦しい現実は自分が創ってるのに。

わたしがわたしをオンリーワンにしてあげないから
わたしがわたし以外に目を向けているから
わたしをオンリーワンと思ってもらえないし
わたし意外に目を向けられちゃう。

いつだって、わたしから、なのに。

押入れの隅っこで本を読みながら
「こっち見て、わたしを気にして、わたしにかまって、わたしだけ愛して」
ってつぶやいている細っこい女の子「ごっこ」、
まだまだしたりないのだね、わたしって。

だから、ほら、そういう現実やってきた。
こっちにいてもあっちを想い
あっちをかまってる男の子の背中を押入れの中から眺めて
「こっち来て。あっち行かないで。」って拗ねて泣いてる物語。
あとは、
夢のような幸せってのは簡単には得られないよ、
みたいな設計図。
わたしに見合う幸せは、我慢して苦労しながら
時々、ポッと光る灯りみたいなもの、という観念。

それが全部現実になっているという
わかりやすい、シンプルな世界。

緑の紙を黄色い鞄から取り出して眺める。
この紙は神なのか?
軽くて薄いのに、なんと重いのだろう。

布団に入り、電気を消す。
わかってる。
わかってるけど、今はひねくれて拗ねた細い女の子のままで
いさせておくれ。
悲劇のヒロインのわたしでいさせておくれ。
わかった顔して、前向きなことを言う「変化した自分」に、
今日はなりたくないんだよ。
昔の自分でいたいんだ。
わたしのことは放っておいて、大事な星をあたためてくれ、と
つぶやきながら
否定しまくった、昔の自分を抱きしめて眠りました。
がんばってるよ、いい子だよ。
明日、胃薬を買ってあげるよ。

 

あけました。
本当の新しい年の始まり。
自分自身のまわりの空気もまた全然変わったなぁ、と感じる。

今までは「わし、まだまだじゃけん」と思ってたし、それでいいと思ってた。
到達点なんてないからね。
謙虚でありたいし、わかったフリなんかしたくない。
でも今からは「現時点での最高な自分」って思うようにする。
どんな自分でも今この瞬間の私がいいんだって思う。
謙虚でありたいしわかったフリなんかしないけど、
でも今のわたしを、よくやった、これでいい、これでいいんだよ、と褒め称えたい。
毎日毎瞬、そうしたい。

頑張ってるもん、わたし。
と、思うようにする。

誰かに預けてたエネルギーを絶対に絶対に絶対に自分に取り戻す。
そのわたしの大きなエネルギーを自分に使う。
もう誰かと誰かの演じる舞台に上がって彼らにエネルギー注ぐのやめたい。
まるで彼らが主役みたい。
おかしいよ。
わたしの物語はわたしが主役だし、わたしが脚本を書くんだもん。

誰かを可哀想だなんて絶対に思わない。
自分自身も可哀想だなんて思わない。
可哀想だと思うことは対象の力とエネルギーを奪う行為だから。
その人を可哀想な世界に留めおくことになる。
喜びは自分が選びとれる。
誰だってどんな状況だとしても光の選択ができるはず。
可哀想な人なんていない。

すべてはわたしが選んで創っていることをもっと自覚したいよ。
今の現実はわたしが「こうなったらいい」ってどこかで願って叶った現実だ。
なぜ今のこの困難な現実を選んだの?
それは表面上ではわからない。
表面では困難なんて選ぶわけないんだから。
でも今なぜこの現実かというと
奥深くにある自分にとって本当はそれの方が都合がいいからだ。
探そうよ、その都合がいい理由を。
そしてそれを見つけて手放して、新しい現実を選択したいよ。

お母さんに「あんた、今、ひとりで暮らしてどうなの」って聞かれて
「もう最高に楽しい!幸せ」って答えたけど、すぐに気持ち悪くなった。
うそをついたから。
本当はそんな風に思ってないのに。
本当は全然最高だなんて思ってないよ。
前に戻りたいなんて全く思わないけどさ。
困難だよ。
「最高!よかった!マジ幸せ!」って、
たった今、なぜ思えないのかな?って思うけど
そんなこと考えるまでもない。
それはわたしがわたしを本当の意味で大切にしていないことと、
幸せを選んでないからだ。

自分が悪いと思うのほんと、やめようよ。
どれだけ理不尽であろうとわたしの想いを蔑ろにしないでよ。
「そりゃつらいに決まってるよ」と友達から言われたとき、
「つらい想いをさせた」とある人から言ってもらえたとき、
わかってもらえたんだ、と心がゆるんだじゃない?
イヤだとかツラいとか思っても
「贅沢いうな」とか「あっちの方がつらい」とか「喜びの方にフォーカスしろ」とか必ず自分が自分に言い聞かせようとする。
「お前が悪い」って言われたけど
そうなのか?
神様がなんとおっしゃられようと
誰も悪くないし、わたしも悪くないって
思おうよ。
内在神はなんていってるの?
わかってあげたいんじゃないの?
わたしがわたしの気持ちをわかってあげないで
誰かにわかってもらおうだなんて。
内在神を蔑ろにしていることだよ。

相手を理解して受け入れることと、自分のイヤも受け入れることは
両立できることでしょ?
それをしまいこんで相手にとって都合のいいよい人になるような
そんな気の使い方は愛じゃないじゃんって、とやっとわかった。
愛なら自分も相手も幸せなはずだもん。

愛は、まず自分に注ぐこと。
自分が幸せと喜びに満ちることが
愛する人を幸せと喜びに導くんじゃないの?

他人の顔色ばかりうかがって
自分の本音をおさえこんでる。
こうするのが理想というのを設定して自分を隠す。
でもそんな自分が発するエネルギーは愛じゃない。
我慢や気を使うのは愛ではない。

わたしはどうしてもこれはイヤ。
でもそのイヤを他人にどうにかしてもらうのは違う。
かといってなにかでイヤを紛らわすのも違う。
ならどうするか。
考えよう。

何度問いかけても出てきた「YES」を忘れないで。

わたしだけを愛してほしい。
わたしだけ優しくしてほしい。
あっちこっちにしないで。
わたしだけにして。
そんな気持ちで頭おかしくなりそうだった。
でも、「わたしだけのもの」なんてものは
本来存在しないのだ。
すべては宇宙のものなのではないのか。

抱え込むことなんてやめようよ。
たくさん手放そうよ。
手放すためにひとりになろう。
目の前にあるやるべきこと、やりたいことを
ていねいに、気がついてあげて、やるだけ。
ひとりでそれをしていこう。

新年にあらためて設定しなおす。
初期設定、しよう。

あたらしい年、あたらしいわたし、
おめでとう。