片腕の夢は日常 -23ページ目

片腕の夢は日常

ひそやかに、高らかに、ゆるゆるに、くるくるに、
fromここtoうちゅう

YES YESってうるせーなー!!!と

自分でも思っているんですけど(苦笑)

 

ほっといて!好きなキーワードなんだから!!!
好きにさせて!

 

という記事をnoteに書きましたとさ。

 

自分にYESは全てにYES

https://note.com/kataude/n/n0e66819828a8

 

ちょうちんぱんちら〜ズ活動記「くるくる日記」です。
担当は片腕子こと蜜蜜子とこと赤い方です。
ん?
赤い方こと片腕子こと蜜蜜子とか(なんでもいいわ)
 
くるくる日記はnoteのマガジンでの更新なのですが、
動画を貼ろうと思ったら
noteでの貼り方がわからなくて、
それでアメブロに貼りました。
 
ナッコロ自粛ならぬ自祝(マルシー星の坊主さま)中の
オレンジの方、エスパーみゆきぃぬのお姿であります。
 
文章はnoteの方を見てね✨
「ちょうちんぱんちら〜ズのくるくる日記」
 
 
 

 

最近、ちょっと行けてないけれど
鍼でお世話になっているあず姐こと宮田あずささんの記事に

ちょっとじゅわん・・・となりました。

 

 

情報にえらく疎いので知らなかったのですが、
HSP・HSSなるものがあるらしく、
お友達がご自分がそうだ、という話を聞きまして。
そのときは「わたしは違うわん、だって鈍感なところがたくさんあるしさ」なんて
思っていたんです。

普通に生活をしていたある日、
わたしは「あること」に気がつきました。
その「あること」はとっても小さな小さなことだったけれど
とってもとっても悲しいことだったので
そのことが気になって気になって仕方なくなり、
しばらくそれで頭がいっぱいになり気持ちがダウナーになり
今のこの状況を全て投げ捨ててしまいたくなりました。

 

そのとき、今まで
気がつかなくていいのにどうしても気がついてしまうことが
自分でもイヤになるくらい多い、というのが
あれ、これ、客観的に見るとちょっと異常なくらいだよ?というか病的じゃない?ということに
気がついたわけです(遅い・・・)

 

そういえば
他人の話す言葉の口調とか言葉尻とかニュアンス、表情や目線がとっても気になって
それについて何日も考え込んだり
そこにあるはずのものがない、とか、ないはずのものがある、とか細かいところに気がついて
それがどうしてそうなのか、ということを何時間も考えてしまったり、
音に敏感で
例えば、(いいとか悪いとかではなく)普通に物を投げたりする人っているじゃないですか、
で、そういう人が怒ると余計に物を乱暴に扱うじゃないですか、
その音が、怖くて、もうその人の顔が見られなかったり
投げるその姿を目にするのも、怖かったり、
そしてそればっかり気になってもう頭真っ白になってしまったり身体がこわばったり

ビックリするのも死ぬほど嫌いで、しばらく心臓がバクバクしてしまったり(まじ)、

言葉や態度のほんの小さな小さな部分が気になってしまい、これはどういう意味があるんだろうか、と
あれこれ考えはじめてしまったり・・・・

多かれ少なかれ人はそういう過敏な部分を持っているにしたって
わたしはそれが多い方だわと、この前初めて気がつきました・・・・。

 

 

HSPというのを真剣に調べたことがないし、これからも特に調べることもしないと思いますので
それに該当してるかどうかはわかりませんが、
「普通は気がつかないところに過剰に気がついてしまい、それを深く思い悩む」性質であることは
間違いない。

ちなみに「気が利く」とかではないです。
HSPもきっとそうだよね?「気が利く」ではないよね?)


でも、具体的にそうやって言葉にしてみると少しラクになりました。

だって、
わたしは本来の自分をそのまま丸ごとYESって言うって決めたから、
明らかにしたら認めることができるのでラクなのです。

 

そして今、全国総敏感で、みんながピリピリしてしまう空気の中で
家にいられず、毎日、その空気にさらされながら出勤している状態で、だからといって
自分の好きなリラックスできる場所へも行けず、友達にも会えず、で
自分の想像以上に色んな面で過敏になり、ストレスがたまっている自覚があって、

 

でも、わたしなんかよりもっとひどい状況にいる方々がたっくさんいらっしゃるんだから、

こんなことでくじけちゃいけない、と自分に言い聞かせたりして、

前向きに
お家時間を充実させましょ

とか
今まで時間がなくてできなかったことを今こそすればいいのよ★
とか

ナッコロ予防の情報を得てシェアしてみたり

とか

社会の情勢をキャッチしなきゃ
とか
愛する舞台や映画などのエンタメが危機に陥っている!協力したい!
とか

考えていたけれど、

 

そういうことも気にしすぎてちょっと疲れてきて

「本来のわたしどころじゃないじゃん・・・・」
「ただ部屋でお茶飲んでのんびりしてお昼寝して瞑想しているだけじゃいけないの?」
「充実させなきゃいけないの?」
「時間があるからなにかを得たり生み出したりしなきゃいけないの?」
なんてしょぼくれていた時に
あず姐の記事を読んで、少しホッとしたりしたのでした。

 

ふふふ。
敏感だけど、
外側に目を向けないで。
誰の目も気にしないで。

 

ぼんやりしたかったらすればいい
なにかしたかったらすればい

 

その時の気分で、臨機応変にしたらいいのにね。

 

ちなみに、診断はしていないけれど、
表みたいなのを見ていたら
私はHSP型のHSSというものに性質が似ているみたいでしたっと。


ちなみにちなみに
あず姐が「心の瞑想」のお共に聴かれていた曲が
こちらなのが、なんだか嬉しいね( *´艸`)

 

 

 

 


 

山口

とにかく、どうも、絵というものには、
知らないどこかへ連れていかれる感覚がある。

 

それは何に‥‥絵そのものに?
山口
絵が船頭になっていることは、たしかですね。

かっこいいことを言うなら「未生の自分」、
つまり「そもそもの自分」が、
社会ですとか、わかりませんけど、
そんなようなものによって抑圧されたとき、
原初の自分を快復していくための
作業のひとつとして、
絵があるという感じが、わたしにはしていて。
──
なるほど。
山口
ただ、それは原初に戻るのではなく、
未生のものになってゆく、
退化でありながら、進化であるみたいな‥‥。
──
そんな感覚なんですか。
 
 
山口
ですから、たしかに「どこか」なんですけど、
そのどこかへたどり着いてみたら、
そこは、むしろ「自分」だったというような
 

ほぼ日で大好きな山口晃さんのインタビューのほんの一部抜粋でした。
 

「技術論」「創作論」を話してくださっています。

普段、ほぼ日をチェックしているわけではないので、
実はこれは第二弾で第一弾「技術論」もあったことを今知りましたが・・・(;'∀')

なんというか・・・・あまりに刺激的な内容で・・・・
保存して思い立ったら読み返したいようなことばかり。
わたしは芸術家でもないしクリエイターでもないけれど、
最近はちょっとだけ音楽での表現を意識するようになってきたというのもあり
山口さんの言葉に触れて
思考と感覚が合わさって螺旋を描いてグルグルと上昇していきましたよ・・・。


 

 

 

それから、こちらの言葉もシビれた・・・

 

 

山口
絵描きにとっての
「見る」ということのひとつは、
「意味をはずす」ことです

 

天才が見て描いて見て描いて描いて描いて描きまくってやっとたどり着いた境地みたい・・・
そしてたどり着いたけど、まだそこじゃなくって
また見て描いて見て描いて描いて描いて描きまくるという・・・・・
すごいなぁ・・・・・
溜息しかでません、はい。


 
この後の言葉も本当に面白い。
創作をする人は必見じゃないかなぁ、と思います。
とはいえ
創作、というのはなにも芸術だけではない。
会社員だって土木作業員だってレジ打ちだって創作者だ。
生きているってことが創作なんだと思う。
つまり、みんなが読んで刺激を受けるインタビューだってことですかね(笑)

絵に関していえばもちろん山口さんのおっしゃっていることが正解ではないのだろうけれど、
それでもかなり脳みそかき混ぜられる内容だと思います。
停止してちゃいけないよね。
かき混ぜられなきゃいけないよね、やっぱり。


 
さらに抜粋します。
というか

もう全文が面白いのでぜひ読んでみてください!

 

https://www.1101.com/yamaguchi_akira2/index.html

 


 


 

*********

 

このクダリも好き。

 


 

山口
ともあれ、社会性を身につけていく過程で、
自分をいびつにしてしまったその人が、
たとえば、やがて絵を志し、
自己の不自然なゆがみに気付いて、
本来の真円性を快復していく、
その過程のどこかに、
絵は、諸芸術は、あるのではないかと、
そんなふうに‥‥ただの慰みごとですが。
 
 
山口
絵描きであるならば、最初から最後まで、
徹頭徹尾、
目の前の絵に向き合うしかないと思います。
よすがは、そこにしかない。

他の誰かにほめられたかどうかだなんて、
絵には関係ないことです。
 

ましてや、いくらで売れただなんだとか、
生涯1枚も売れなかっただとか、
そんなことは絵にまったく関係ないです。

 

 

 

 
──
はい。
 
山口
あ、「まったく」はいいすぎかな‥‥。
売れたらやっぱり、ありがたいし‥‥。

ま、たまーに、絵描きは貧乏でなければ、
信用できないという人もいますけれども。
 
──
そんな無茶な(笑)。
 
山口
いるみたいですね、人から聞いた話ですけど。

極貧と言えばのモディリアーニですとか、
生前1枚しか売れなかったゴッホ、
そんな境遇の人だけが真の絵描きだ、と。
 
──
はー‥‥。
 
山口
そんなの、どっちでもいいじゃないですか。

いい絵を描く大金持ちだっているでしょうし、
それ以上に、
貧乏でダメな絵描きなんて山ほどいるでしょうし。
どっちにしろ、
絵を描くときは、すっぱだかになるんです。
 
──
絵と関係あるのは、じゃあ、何ですか。
 
山口
リアル‥‥ということではないでしょうか。

たとえば、ひとつの例として、
美術かどうかを決めるのが美術界ならば、
その定義やら枠組やらが変わったら、
美術かどうかも、変わってしまいますね。
 
──
ええ。
 
山口
そんなものは、リアルでもなんでもなく、
「リアリティ」にすぎないと思います。
 
──
リアリティ‥‥現実みたいなもの?
 
山口
わたしが思いますに、
絵画表現にとっての「リアリティ」とは、
「リアルに見せる何か」
ですので、いとも簡単に、崩れ去ります。

したがって、いざというときに
何の面倒も見てくれないわけですけれど、
その場合には、
やっぱり「リアルなもの」こそが、
絵描きの「よすが」になってくると思う。

宝塚の休演、再開、そして再びの休演にあたって

黙っていられなくて記事を書きます。
宝塚のみならず舞台・音楽などエンターテイメントに日々救われている者として
やっぱり無視できないです。

 

以下、あくまで個人的感想です




*****




個人的には
今回の宝塚の再休演はちょっともう、なんというか、イヤになります。
なににって、
(自分を含めた)人間に(おおげさか)。

他の宝塚ファンブログなどを読むことがなく、
ヅカ友さんも極端に少なく
TwitterのTLに流れてくることとうっかり見てしまったYahooのコメントしか
読んでないで他のファンの皆さんのお気持ちはわかりませんが、
どうやらファンの方々からも
再開したことに関しては猛烈な反発の声が聞かれます。

 

こういう過剰な批判を見ていつも思うのが

 

「それ、本当にそう思ってるのかな?」

 

ということです。
TVでは毎日おそろし「げ」な情報を流されています。
それがまるで唯一の真実かのように。
マスクやらトイレットペーパーやら米やらがなくなったこともそうですが、
何が本当の情報なんだか誰もわからないまま思考停止状態で「流れ」に乗っていく。
そしてやはり「流れ」で学校や娯楽やイベントが次々と自粛していく。
そんなある種、特殊な状況の中、

コロナ怖い。
感染したくない。
感染したら大変なことになる。

そんな恐怖は元々、個人個人が抱えている負の意識や感情と結びついて
大きく膨らんでいってさらなる恐怖となり
それが過剰批判につながっていく。
 

「なんとなく」世間が批判する「流れ」になってるから
自分が批判しても多くの人がそれに同意をしてくれるはずだから
今こそ日頃のうっぷんを晴らすかのごとく

批判非難して問題ない場所へぶつけまくる・・・・・。

多くの人がそんなひどく適当な理由で対象を叩いている気がしてならないんです。

 

今や、各所の自粛は

「あそこは自粛してるのにお前らはやるのか」
「感染が拡がったらお前らどう責任取るんだ」

という世間の脅しによるものになってきている気がしています。

 

そういう批判の中から
エンターテイメント業界の一員としてどうあるべきかを考えに考え、
 

「休演期間を利用して、劇場内各所の重点消毒を行ったほか、サーモグラフィの設置や客席内の換気強化、塩素系薬剤等による清掃強化、劇場内飲食提供の中止、客席を使用した演出の中止、出演者及び従業員の健康管理の徹底、お客様の滞留を抑えるためのご案内強化など、様々な対策に最大限取り組んでまいりました。そして、お客様にも検温やアルコールによる手指消毒など感染予防と拡散防止にご理解とご協力をいただき、感染拡大防止対策をでき得る限り強化」(HPより)


ここまで策を講じて再開を決断された歌劇団に対して

安易な世間の「流れ」に乗って思考停止的批判をすることを、
わたしは宝塚ファンとしてエンタメファンとして絶対にできないです。

 

逆に「金儲け主義」と考えるのは本当に思考停止にしか思えないです。
ここまでの対策にどれだけお金がかかるか。
その上で払い戻しに応じることをされるわけですよ。
かつ元々、あれほどの大きな舞台を作り上げるのにどれだけお金がかかっているか

わたしには想像もつかないです。
それでも、おそらく満員でやっと±0になる程度じゃないのか?というのはわかります。
そう思えば安易に「金儲け」なんて言えない。
むしろエンタメ業界にいる大手劇団としてなんとなくの流れに乗らずに
あらゆる方面から議論したであろうことにわたしはあらためて歌劇団のエンターテイナーとしての誇りと
観客への愛を感じずにはいられませんでした。
 

再開は、決して金儲けでも、宝塚特有の事情(退団公演だとか)でもなく、
この状況下でエンターテイメントは人々にどう貢献できるのか?を真剣に考えた結果のことだと思うのです。

**

経済的なことを言えば

何をしようとしなかろうと歌劇団は大手だからつぶれるようなことにはならないけれど、
自粛をせざるおえなくなった

小中規模の劇団やライブハウスはどうなるのだろう、とそちらの方が不安でたまらないです。

 

普段、こういった場所に足を踏み入れない人々にとって

芝居や音楽は単なる「娯楽」です。

でも、エンターテイメントは娯楽だけじゃない。
それは「仕事」でもあり「生き方」でもあるんです。

断じて、そうなんです。

だからこそ、

自粛することや再開することの是否はわたしには断言することはできないけれど、
もっと目線を広げて考えることは必要なのではないかと思うのです。
そして、公演をされたり再開された団体を安易にぶっ叩くようなことは
してはならない、と心から思うのです。
それは彼らの息の根を止めることにつながる場合もあるのですから。

 

**

 

感染リスクがあるのは劇場やライブハウス・イベントだけではない。
いまだ営業されているパチンコ店や大型ショッピングモール、飲食関係店はどうなのか?
映画館は休校になって時間が余った子供たちで映画館はあふれているそうです。
そもそも満員電車はどうなのか?
先に挙げた歌劇団を例にあげると、
あれだけの対策を講じていただいた上にそこに集う我々ファンはいつも以上に感染に気をつかうはずです。
それとは逆に
一体、どんな人が乗っているかわからない満員電車に毎日乗るリスクは?
感染者が出たとか死亡したとかのニュースはどんどん報道されているけれど、
治った人はいないの?もっと多くの人が感染していて治癒しているということはないの?

そういったもの全てをテーブルの上に広げて
感情や事情を排して
それぞれの立場の人たちが、それぞれ冷静に考え行動する。
批判ではなく、できることをしていく。

わたしのような個人はもう自分が考え得る限りの自分自身への対策、
それこそ手洗いうがいを正しい方法でマメに行うとか、免疫を上げる努力をするとか、
少しでも体調不良を感じたら外出しないとか、
その程度しかすることはないと思うのですよ。
でも、その程度っていうのは全員がもれなくすれば大きいことですよね?

 

わからない分野をわからないまま怖がるのではなく
いつ収束するか真実がなにかわからないことを1点だけを見て批判するのではなく
できることを粛々とし、体調を整え、気持ちも整える。
そうするしかないではないか、と思うのですが・・・・。
 

**

 

野田秀樹さんが公演の自粛・閉鎖に関して「演劇の死」という言葉を使われましたが、
わたしはエンターテイメントに救われてきた人間で
それがなければ生きていけなかったから
今、こういう状況でもエンターテイメントを死から救うべく
超絶微力ながらも動いていきたいと今回、あらためて思いました。

 

わたしは宝塚歌劇団の再開を支持します。
より宝塚が大好きになりました。

そして再び中止にされた苦渋の決断も支持します。
これを機会に、日本一頑張り屋さんである生徒さんたちが身体を休まれますように。

再開したら必ず観に行くぞ。
グッズも雑誌も買うぞ。
他の舞台も映画もライブも、可能ならば行くぞ。

**

 

今、感じたこと。

今、誰かや何かに向けている恐怖や誰かを批判する気持ちは本当はどこから来ているのか見つめなおす。
虫の目ではなく鳥の目でみること。
自分はなににフォーカスしているのか検証してみる。

そいうったことがこういう時にこそ大事なことだな、と強く強く感じました。
そして思います。
ヒステリックになっている人たちを他人事にしない、と。
わたしにもそういう面は大いにあるから。
あれはわたしである、という目線は持っていたいです。

 

そう思うと、
この状況は、わたし自身の心であるんだなぁ、という思いに至りました。
というのはもうスピ案件になるので(笑)

別で書きます。

 

最後に大好きなプリミ恥部さんの本より。

 

「心配とか恐怖を愛で解放し、
周りにあわせるのではなく
自分が疲れないことを最優先します」