noteからの転載です
6/18「ワタシニダケ」
中学生のときに
テクノとか洋楽など音楽の趣味があって仲がよかったIくんという男子がいた。
80年代の当時の中学生の男の子っぽくなくて(笑)
音楽好きというのもあったのかな、ファッションやアートとかにも興味のあるような男の子だった。
私たちは仲がよかったので
ガキンチョ特有の「あいつとあいつはデキてる〜」みたいなのもあって
「蜜蜜子ちゃんはIのこと好きなの?」と聞かれることもよくあった。
でも私は別に異性として意識していたわけでもなく
ただ本当に仲がよかっただけだった(私は別に好きな男子がいたし)。
ある日、同級生の男子がニヤニヤしながらやって来た。
「Iに蜜蜜子のこと好きなんじゃないかって聞いてきてやったぞ」
余計なことしやがって。
馬鹿じゃないかと思ったが、まあこういうことをする世代だから、と気にしなかった。
「Iはお前のことも好きだけど、E(同級生の女子)のことも好きでどっちか迷ってるんだってさ」
「蜜蜜子は趣味が合うしいいヤツだから好きだけど、Eは顔が好きだから迷ってるんだってよ」
と言ってきた。
***
同じようなことが高校の時にもあった。
ほぼ似たような感じだった。
男って馬鹿じゃないかと思ったけれど、
Iのことも、高校の時の男子のことも別に嫌だなと思わなくて
それからも普通に友達として付き合った。
Iも高校の男子もどちらも結局、私ではなくもうひとりの女子たちに
告白をして、見事フラれていた。
***
でも、今、絶賛、インチャケア中の私は振り返ると
あの、中学生の頃の蜜蜜子も、高校の時の蜜蜜子も
傷ついていた。
悲しかった。
好きでもない男子達ではあったけれど、
「顔」と「趣味」という別々のものを自分の右と左に並べて
あっちも好きこっちも好きとされていることを
馬鹿にされている、軽んじられている、と感じた。
私と遊んでいる時には私を好きって思って、
別の好きな女子と一緒にいる時はその子を好きと思っていたんだと思うと
とても嫌な気分になった。
そういう気持ちを持ったこと、ずーっと押さえ込んでいた。
だって、私、別に彼らのこと好きじゃなかったし。
別に好きな人がいたし。
でも、そういうことじゃなくて、
私は「蜜蜜子だけが好き」と思ってもらいたいと思ったのだった。
あの時、そう確かに感じていて、でもされなくて悲しかった。
今思うと、10代の軽い好きなんてどうでもいいけれど、
当時の私は間違いなく悲しい嫌な気持ちになった。
「蜜蜜子だけ」「だけ」というのが私には重要だった。
***
それは、やっぱり私は姉とのことがあったからだ。
母親が大事に大事にしていた姉。
私はいつも除け者だった。
私はお母さんを独り占めしたかった。
お母さん、私だけを愛して。
私だけにご飯を作って。
私だけに笑って。
私だけに話して。
私だけとお出かけして。
私にだけに何か買って。
私にだけ、私にだけ!!!
なんでいつもお姉ちゃんばっかりなの!
お姉ちゃんなんて大嫌い!
そしたら姉が死んだ。
私はほくそ笑んだ。
これでお母さんは私だけのものになると思った。
でも、ならなかった。
姉は亡くなったことで母にとって不動の地位を築いた。
***
だから私は、お母さんにではなく
他で、「私だけ」を求めた。
友達に、恋人に、夫に。
私とだけ遊んで。
私とだけ仲良くして。
そういう気持ちをいつも抱えていたから
私はいつもいつもいつも飢えていた。
いつも、誰かを独り占めしたかった。
友達に対してもそうだったけれど、
友達にはそれは出来ないと、わかったのは
かなり大人になってからだった(馬鹿だね・・・)
(もちろん今はそんなことは思わないけど)
もちろん男性に対してもそれを求めた。
友達ではなく、
男性なら、恋人なら、夫なら、それを叶えてくれる!
でも、何故だかいつもそれが叶わない状況になる。
ある人は
美味しいものを私にだけ持ってきてくれると思ったら
別の女性にも同じものを持っていってあげていた。
ある人は
美しい光景を私にだけ見せてくれていると思ったら
同時に別の女性にも見せていた。
いつもいつもいつもそうだった。
もちろんそれは、二股とか浮気とかではなかったけれど、
私は、とにかく、どんな事情があろうとも
並列に並べられている、というのが本当に嫌なのだ。
ナンバー1ではなくオンリー1になりたかった。
世界で一番美しい薔薇を私にくれて
別の人には普通の薔薇をあげるのではなく、
私にだけ薔薇をプレゼントして欲しかった。
値段や品質や数なんか関係ない。
スーパーで買った薔薇でもいい。
とにかく別の人も、ではなく、私にだけ、が欲しかった。
でもそれはいつも叶わなかった。
私にだけ、という人はいないんだ、と思った。
***
今、過去の自分と向き合い始めたのは
「世界は私が投影したものだ」
ということを、ほぼ納得できたからだ。
ずいぶん前からこの概念は言葉としては理解していたけれど
でも信じたくなかった。
どうしても、どうしても、「私にだけ」が得られないのは
私がそういう現実を創っているからだ、という基本に立ち返り
再び、子供の頃の自分と対話をしている。
大元である、母と姉と私との関係性も
もうずいぶん前からわかっていたつもりだったけれど、
子供の私はまだ全然、納得していなかった。
まだ「私だけ!私だけ!」って怒りながら泣いている。
私は私を抱きしめる。
「どうせあなたも他の人にも優しく抱きしめるんでしょ!」と
怒るので、背中をポンポンしながら
「私だけだよ」と言ってあげる。
その隣には今の私もいる。
今の私はこう言っている。
「「私にだけ」って言うなんて、私はなんて自分勝手で我儘な人間なんだろう」
と俯いている。
そんな私にも私は抱きしめる。
「いいんだよ、嫌に決まってるよ。
悲しいに決まってる。自分を責めることないよ」
じっくりやっていこう。
ちゃんと自分から出たものを掬い上げてあげよう。
もう、隠したりしない。
どんなに醜くても、どんなに汚くても。

