以前から気になっていた京都の劇団「烏丸ストロークロック」が
東京公演をされていたので観に行ってきた。
烏丸ストロークロック「まほろばの景」
天井から白い薄布がいくつも下がっているだけの
シンプルな舞台。
3.11の被災者である男が山を彷徨う中で
虚実現在過去入り混じり
山岳信仰、東北の神楽などが挟み込まれた
なんとも幽玄で神秘的な世界でありながら
リアルな言葉と身体で綴られた作品。
起承転結のある物語ではないので
解釈は完全に観た人に委ねられるわけで、
単細胞ノータリンな私には
とても理解できなかった・・・・。
その場所にいずらさを感じる人々
(主人公の男は被災者だけれど比較的被害が少ない?がゆえに
所在なげにみえる)は
死へと向かいながら生きている。
もしくは死の世界で生きている。
スティグマを見ないフリをしながら携えながら
生きているから
人生をやり直し、
生まれ変わるために山へ登る。
意味はわからずとも
音の粒として毛穴からじくじくと入り込んでくる
山伏の言葉はこの世とあの世をわける呪文のようだ。
生きることと死ぬこと
悩み苦しむことと安寧
あの世とこの世
その全ては等価であり、
そこに否定も肯定もしない舞台は
ものすごく真摯に「生きること」を考えさせてくれる。
や、全然わかってないんですけど(苦笑)
ラスト、主人公の男が山に登り叫ぶ。
「山はある。俺がいる」
男は死んだのかもしれない。
死ぬその間際に生きることを知ったのかもしれない。
それは生まれたということでもあるのではないだろうか?
台詞の中にたびたび出てくる
「夢みたいだなぁ」
それはまさにこの作品を表しているようだった。
「夢みたい」だけれど、そこは紛れもない現実だ。
現実は夢なのだ。
そして夢は現実なのだ。
なんのこっちゃ。
わからん。
わからん世界に生きてるじゃ、わしゃあ。
って思った芝居でした。
うん、そういうことだ。
音楽はチェロの生演奏。
時に静かに、時に狂ったように鳴る音は
感情を持っているかのようで
けっこう胸に刺さった・・・・・。
よかった。
余談。
3.11については語る言葉などない私。
被災者でありながら被災者と堂々と名乗れないような主人公を
全く被災者ではない私が
遠く遠く遠くからのぞきみしているようで
とてもつらかった。
私は逃げている。
逃げているのかもしれない、と。