「お前、金馬にならねえか?」


突然の申し出でした。

母が5月13日に他界し、納骨を済ませ、父と楽屋話をしている最中でした。

「小金馬も酒をやめられなかったのがよくなかったよなあ。小金馬襲名するか?」

「還暦を前にして今更、小金馬もないでしょ?」

「じゃあ金馬になれよ。俺ももう体が思うよう動かないし、

お前が襲名してくれれば俺も有り難いしな」


そんな会話がありまして

「じゃあ、こんなとこで親子が角突き合わせてても仕方ないから鈴本の社長に相談しよう」

とその足で鈴本演芸場へ向かい、社長に話をすると

「理事会を通していただければ寄席としては応援します!」

というありがたいお言葉、

ちょうど市馬会長が上野に出ていたので相談すると

「来週の理事会にかけますから」

というわけでとんとん拍子で襲名が決まりました。


水がいいほうに流れているなあ、と思いました。

うまく行くときってこういうものなんでしょうかね。

実は20年位前、父から一度、襲名を打診されたことがありました。

父が心筋梗塞を患い気が弱くなったのでしょう。

そのときは私が父を叱りつけました。

「親父は覚悟して金馬という名前を担いだんだろ?

だったら墓場まで看板担ぎ切らなきゃダメだよ!」

とはっぱをかけ断りました。

今回はもう卒寿だし金馬を卒業させてあげてもいいかな、

と思い襲名を受け入れることにしました。


襲名というのは重い看板を担ぐことです。

看板に磨きをかけ、いい光沢を加えて次に引き継ぐか、

担げず、引きずって傷だらけにして泥だらけにしてしまうかは

本人の努力次第、責任重大です。


私は金馬という名前の大きさも重さも十分知っているつもりです。

血が繋がっている、というだけで継ぐべき名前ではない、とも思います。

私に金馬たる実力が備わっているとはとても思えませんが

決まったからにはより一層研鑽を積んで参ります。


小三治師匠から

「お前はお前の金馬を作ればいいんだから」

と言っていただいて少し楽になりました。

「三代目の師匠、私のような噺家が継ぐことになりました。どうぞよろしくお願いします」

決定したその日、先代の師匠の墓前に報告しました。

皆様、今後とも応援お願いします。


なお、父は金翁、という名前に改名し、

ご隠居さんになりますが、体調が良ければ高座にも上がるそうです。

「襲名まで俺も長生きしなきゃいけなくなっちゃったなあ」

少し親孝行が出来たような気がしました。