JR貨物のED79
こんばんは。ゆうづるです。
今回は使用線区の特殊性ゆえに比較的短命に終わってしまった津軽海峡線のED79を取り上げてみたいと思います。
ED79という機関車は津軽海峡線(青函トンネル)区間を走行する旅客列車・貨物列車を牽引するために、余剰となっていたED75 700番台を改造して誕生しました。
青函トンネル開業当初はその話題性と、折しもバブル景気で輸送力が非常に旺盛な頃で旅客・貨物ともに堅調な輸送力を保っていました。
そんな中貨物列車の増発が計画されましたがJR貨物には種車となるED75 700番台がないため改造車のED79をベースに新たに機関車を新製することになりました。そこで誕生したのがED79 50番台です。
外観は直流機のEF66 100番台や交直流機のEF81 500番台と同じく青と白のJR貨物カラーをまとい、従来のED79と重連を組めるよう貫通扉付きのデザインとなりました。
製造メーカーは東芝で1989年にまず4両が落成し、すぐに追加で6両製造されました。
落成後早速津軽海峡線の貨物牽引に従事し、一時期は東北線の仙台まで足を延ばしていた時もありました。しかし十三本木峠(奥中山ですね)越えで空転が多発し遅延が頻発したため数年でとりやめとなり、その後は津軽海峡線運用のみとなりました。
また落成当初から10両体制で運用をこなしていましたが、2000年頃に五稜郭機関区構内で機関車同志の接触事故が発生し、残念なことに56号機が廃車となっています。56号機は製造後11年という短命でした。
時は流れ青函トンネルを新幹線と共用することになり、架線電圧や保安装置を新幹線と同様のものとすることが決まりました。
これはED79の用途が消滅することを意味し、ED79形式自体の運命が決まってしまうこととなりました。
50番台は仙台総合鉄道部への転属も検討されたようですが、主力がEH500になっていたことや十三本木峠越えに難があるためか転属することもなく、その一生を五稜郭機関区で過ごすこととなりました。
そして2016年3月に新幹線が開業すると同時にED79はその役割を終え全機引退しましたが、JR貨物の50番台9両は一足先の2015年には全機引退しました。
走行線区が限られ北斗星やトワイライトエクスプレスなども牽引しなかった地味な存在ではありましたが、赤いED79に混じって過酷な津軽海峡線の環境の中で活躍した50番台はまさに縁の下の力持ちだったと思います。
では私のコレクションからJR貨物のED79 50番台の写真をどうぞ。
1989年4月 落成直後で足慣らしのため旅客列車に運用されたトップナンバー51号機です。
同じく1989年4月 快速海峡の先頭に立つ51号機です。(実は後ろにもカマがいて重連だったのですが…)
1990年5月 落成から間もないころに撮影した56号機 56号機はこれ1枚しか記録がありません。
同じく1990年5月 海峡線区間を抜け津軽線に入った59号機です。55~60号機は新製当時は車体裾部に青色が入っていましたがのちに消されました。EF66 109~・EF81 451~と同じ思想での塗分けだったのでしょうか?
2012年2月 大雪の中走りぬける51号機 スノープラウの威力をまざまざと見せつけられた瞬間です。
2013年6月 北海道側の名撮影地 函館山をバックに撮影できる渡島当別を走る51号機です。
同じく2013年6月 青森側の名撮影地油川付近を走る51号機です。
2014年1月 通過列車退避のため運転停車する52号機です。出発信号機が車体に反射して結構渋い写真になりました。
2015年1月 またまた名撮影地である蟹田付近での53号機です。この頃はすでに数両が運用離脱していて最後の活躍の頃の写真です。
またまた長くなり申し訳ありません。
それではまた。