人に認められたいという思いは

誰にでもあります。

人に認められてこそ

自らの存在意義を見出すことも

出来るので

認められたいという思い自体を

悪いとみなすのは賢明ではありません。

問題は人よりも自分が上だと

思いたいがために

自分の持てるものをひけらかして

他人に自分の才能を認めさせる事。

これは単なる増上慢でしかありません。

上に立つものこそ

仕える者であるべきだとイエス様は

教え、そして模範を示されました。

私たちもイエス様のように

仕えることの出来る者に

なれますように祈りたいです。



あなたがたの間で

人の先に立ちたいと思う者は、

あなたがたのしもべになりなさい。 

人の子が来たのが、

仕えられるためではなく、

かえって仕えるためであり、

また、多くの人のための、

贖いの代価として、

自分のいのちを与えるためであるのと

同じです。」

(マタイ 20:27-28 新改訳)