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クリスチャンは教会内部の奉仕に止まらず

教会の外に向かっても奉仕をします。

奉仕(ディアコニア)は

神様から無償で与えられている恵みへの

感謝の表れとして行うものですから、

神様に感謝しているクリスチャンであれば

自ずとするものです。

さてここで問題です。

なぜか知りませんが、

日本の教会では、

例話が日本国内のものではなく、

アメリカをはじめとする欧米のものが

しきりに引用される傾向があります。

アメリカなどでは私有財産制が

保全されているので、

大富豪が生まれやすいのです。

そしてそんな大富豪が社会の為に

奉仕の一環として巨額の投資をするのです。

こんなスケールのデカイ話を

例話で持ち出されて、

私たちも同じように社会に向き合って

献金しましょうと言われても、

ない袖は振れないと思うのが普通でしょう。

これでは社会の為に奉仕をしようにも

心が萎えてしまいます。

しかし、社会に対する奉仕とは

いろんな形態があるのを忘れてはいけません。

お金で何でも解決できるのでもありません。

お金がないなら

疎外されている人の話し相手になればいい。

丈夫な体があるなら

独居老人のお手伝いも出来ます。

何も出来ないと言うなら

本気で社会における

民生の安定の為に祈ればいい。

大切な事は、心を閉ざさない事!

持っているものを持っていない人と

分かち合う。それでいいのです。

パウロは第2コリント8:14-15で

次のように教えています。

「今あなたがたの余裕が

彼らの欠乏を補うなら、

彼らの余裕もまた、

あなたがたの欠乏を

補うことになるのです。

『多く集めた者も余るところがなく、

少し集めた者も足りないところが 

なかった。』と書いてあるとおりです。」

(第2コリント 8:14-15 新改訳)

結局、奉仕とは何かしているようで

そうでもないのです。

奉仕は損だと思ってしまいがちですが

そんな事はありません。

ですから無理せずに持っているものを

少しでも分かち合いましょう。

どうか心を閉ざしたり、

神の恵みを独り占めにしようとは

しないで下さい。

経済格差が深刻化して乏しい者や

貧しい者が増えている今日、

クリスチャンである私たちが

すべき事はたくさんあるはずです。

あなたの周りにあなたの助けを必要と

している人がきっといます。

さて何をすべきでしょうか?

イエス様のみことばを最後に見ましょう。

「まことに、あなたがたに告げます。

あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、

しかも最も小さい者たちのひとりに

したのは、わたしにしたのです。」

(マタイ 25:40 新改訳)