みことばを忠実であろうとすると
ついついみことばの機械的実行に
陥りがちです。
こうなるとイエス様に白く塗った墓と
形容されたパリサイ派の学者と同じように
表面的には誠実そうに見えるが
内面的にはかなりの問題を抱えている
人間になってしまいます。
これではキリスト者の自由を満喫できません。
まずは自分の弱さを発見する事が大切です。
そしてその弱いところに神様に働いて
いただくために悔い改めましょう。
「イスラエルは、義の律法を追い求めながら、
その律法に到達しませんでした。
なぜでしょうか。信仰によって追い求める
ことをしないで、行いによるかのように
追い求めたからです。彼らはつまずきの石に
つまずいたのです。」
(ローマ 9:31〜9:32 新改訳)
ありのままのドロドロした自分を
直視することの方が
表面的にはみことばを守って
誠実なクリスチャンのフリをするより
大切なのです。
守ればいいというものではないのです。
自分の罪深さを知ればこそ
その罪を赦してくださったお方への
全き信仰心が芽生えるのですから。