神様は私たちに無茶な要求はされません。
もちろん試練の真っ只中にあっては
この約束はウソのように思えるかも
しれません。
しかし勘違いしてはいけない事があります。
神様は私たちクリスチャンが
何の変化も成長もない怠惰な生活を
送る事を望んではおられないのです。
何もせずにダラダラ生きる事が
楽な生活ではないはずです。
それは楽ではなく怠惰と言うのです。
神様は私たちがそんな怠け者に
なる事のないように、
あえて試練をお与えになるのです。
しかしそれは耐え得る範囲に限定されます。
試練のしがらみから
脱出し難い状況に至った時は、
神様が逃れの道も準備してくださいます。
パウロも次のように教えています。
「あなたがたの会った試練は
みな人の知らないようなものではありません。
神は真実な方ですから、あなたがたを
耐えることのできないような試練に
会わせるようなことはなさいません。
むしろ、耐えることのできるように、
試練とともに、脱出の道も
備えてくださいます。」
(第一コリント 10:13 新改訳)
耐え得る範囲内での試練であるなら
必ず試練を乗り越える事が出来ます。
ですから自暴自棄になって
試練から逃亡するのでなく、
その試練を自分の信仰の成長度合いを
知るための試金石だと思えばいいのかも
しれません。
どんな誘惑や試練にも打ち勝つことの出来る
信仰が与えられるように祈りましょう。