行いによって救われるわけではありません。
しかし行いのない信仰も存在しないという
事もしっかりと押さえておく必要があります。
宗教改革期に行いを過度に強調した
カトリックの信仰形態に対する牽制から
プロテスタントでは信仰が強調されました。
しかしそれは救いの条件が行いでなく
信仰である事を強調したわけで、
それで完成であるとは言っていません。
神様の恵みにより信仰を与えられた者は、
神様に対する感謝から
喜んで神様にお仕えする事になります。
神様にお仕えするとは、
具体的にはみことばを生きる、
つまりみことばを実践するのです。
ですから行いのない信仰とは
そもそも存在し得ないのです。
「私の兄弟たち。
だれかが自分には信仰があると言っても、
その人に行いがないなら、
何の役に立ちましょう。
そのような信仰がその人を救うことが
できるでしょうか。」
(ヤコブ 3:14 新改訳)
行いの伴った全き信仰が与えられますように
祈りましょう。