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イエス様がみことばを伝えられていた当時、

パリサイ派の学者は大変な尊敬を

受けていました。

聖書のみことばを一字一句違わずに

信じて実践する事が大切であると説き、

民衆にそのように生きるように指導

していました。

その姿は今日の保守的クリスチャンの

信仰形態のそれと酷似しています。

であるが故に心しなければならない

点があるのです。

イエス様がパリサイ派の学者に

言い放ったことばに注目してみましょう。

「忌まわしいものだ。偽善の律法学者、

パリサイ人たち。

あなたがたは白く塗った墓のようなものです。

墓はその外側は美しく見えても、

内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものが

いっぱいなように、あなたがたも、

外側は人に正しいと見えても、

内側は偽善と不法でいっぱいです。」

(マタイ 23:27 新改訳)

偽善は聖書の記録言語である

ギリシャ語ではυποκρισίς(ヒュポクリシス)

という単語が使われています。

υποκρισίςは猫を被るとか

いい子ぶるという意味です。

ですからイエス様(神)から見れば

パリサイ派の連中は独り善がりの

口やかましい人たちだったのです。

さて、ここで自分はどうかを省察する

必要があります。

今の自分の姿をイエス様がご覧になったら

どのように評価されるだろうかと

考えてみましょう。

おそらく大半の方はダメだなと

落胆されるでしょう。

でもそれでいいのです。

自力で出来るならそれこそ律法だけで

十分だったでしょう。

私たちは神様のみことばを表面的でなく

心から喜んで受け入れて実践する事が

求められているのですが、

その状態をキープする事が

なかなか出来ません。

ですからイエス様が来られたのです。

こんなにもろい私たちを受け入れ

赦してくださり、いつも慈しみ深く、

そして憐れんで下さるイエス様に

心から感謝して歩む時に、

見せかけだけの偽善的みことばの実践でなく

心からの感謝でもってみことばを生きる事が

出来るようになるのです。

そのように導かれますように祈りましょう。

「わたしに向かって、『主よ、主よ。』と

言う者がみな天の御国にはいるのでなく、

天におられるわたしの父のみこころを

行なう者がはいるのです。」

(マタイ 7:21 新改訳)