イエス様が禁じられた事以外であれば
基本的には何をやっても自由です。
しかしその自由に制限がかかる時があります。
それは中毒になる一切の物と行為、及び、
第三者をつまずかせる可能性がある場合です。
酒・煙草などの嗜好品を避けるのは、
中毒まで行かずとも癖になりやすいし、
羽目を外したり、周囲に迷惑をかけたりと
自他共に悪影響を被るし、
その行為が神の栄光を瀆す可能性が
高いからです。
自分のクリスチャンとしての品位、
他人への愛、神の栄光を守るために
自ら制限をかけるわけです。
また、クリスチャンが天賦の自由を
濫用して自分の欲を充足する姿は
周りの人たちをつまずかせる事になるので、
この場合にも自由に制限をかけます。
私たちに与えられている自由は、
神様に栄光を帰す事と神様の似姿として
創造された隣人たちをつまずかせないように
配慮しつつ用いてかなければならないのです。
「すべてのことが私には許されたことです。
しかし、すべてが益になるわけではありません。
私にはすべてのことが許されています。
しかし、私はどんなことにも
支配されはしません。」
(第一コリント 6:12 新改訳)
キリスト者の自由を神様に喜ばれるように
用いていけるように祈りましょう。